アニマスが表していた「アイドルの本質」 〜AKBによって「歪められてしまったこと」を浮き彫りにする〜

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この記事には驚いた。アニマスの良さが、全く歪められて捉えられている。信じられない思いだ。
驚いたことに、この記事に反応している人たちも、歪められていることに気づいていない。真っ向から反論してたりする。そうか。世間のアイドルに対する常識からして歪んでいるということなのか。
アイドルは競い合うものだ。・・・という発想そのものが歪み。
アイドルは、スポーツじゃない。競技じゃない。アイドルとは、受け手に夢を与える為にだけ存在し、そこには自分を高めるという、自分との戦いしかない。
アニマスにも、実は競い合いのシーンがある。961プロは正にそれを表す存在だった。また、765プロの中でも、竜宮小町の存在とか、才能が有り過ぎる星井美希の言動とかに、競合の兆しが芽生えている。けれども、それを全て否定し、飲み込んで進んできたからこその765プロであり、その象徴としての天海春香の言葉に価値がある。
「みんなと一緒に!」
改めて言うけれども、本来、アイドルは競うものじゃない。競い合う事が当たり前の様に感じているのならば、それはきっとAKBの総選挙のせい。現実にある売れる売れないという事象を逆手にとって、それをショーとして見せてしまおうという「売り手の仕掛け」が、まるでアイドルの当たり前のようになってしまっている。
しかし、それはアイドルの本質じゃない。確かに受け手のパイは決まっているかもしれないから、そこに競争原理はあるかもしれない。けれども、それとアイドルが自分の想いを形にして受け手に伝える努力をすることとは事象そのものが別。
アイドルが、競争相手を見つけて、それに対抗して己を磨いているとしたら、そのアイドルの受け手に対する心はどこにあるというのか。
現実に競争があったとしても、本来はそれを意識しちゃいけない。戦うべきは、ただ自分のみ。それこそが本当のアイドルだし、本質だろう。それは、全ての芸人においても同じかもしれない。
天海春香と765プロのプロデューサーは、その事を理解していたからこそ、765プロのアイドル達にそういった競い合いの心を芽生えさせないよう苦心していた。そのアイドルの本質を貫く努力こそが美しく、愛おしいものとして描かれていたのが、アニマスだったのではないか。
世間に、巨大な流れがあって、その流れに晒されると、物事の本質そのものが歪んでしまう事がある。怖い事だ。