小倉唯の為に解説する「風立ちぬ」の魅力

声オタとして、ちょっとキモイ「風立ちぬ」の感想を書いてみたり。
http://ameblo.jp/ogura-yui/entry-11580642594.html

  • 小倉唯オフィシャルブログ「ゆいゆい日記!!(はぴすた会長日記)」(2013/7/26「シベリア?☆」)

そういえば先日、
お仕事の合間にママと
風立ちぬを観にいったよ〜
(*^ω^*)

とても感想して、
涙が自然にポロポロでてきました!!!こんな体験初めて!!

この日記を読んで、いたく感じ入ってしまった。その後、お母さんにシベリアを買ってきてもらって食べたというくらいだから、かなり思い入れを持ったに違いない(^^)。
この映画、巷では賛否両論とか言われているが、否定する人の多くは先入観とか社会性とかを意識しすぎて、映画としての本質を見失って批評していると思う。真っ新な心で見れば普通に感動できる映画であると断言したい。この唯ちゃんの感想は、正にその証明となっていて嬉しかった(^^)。
折角なので、この作品の魅力について、改めてとても簡単な解説をしたい。特に、なぜ唯ちゃんが涙を流すほど感動したのかという点について。
良い映画ほど、感動を与える構造としては単純にできている。この「風立ちぬ」も同様。
風立ちぬ」の「感動の肝」は大きく二つあるだろう。
一つは「主人公二郎の飛行機設計への情熱と、その切ない結末」、そしてもう一つは「ヒロイン菜穂子とのラブロマンスと、その切ない結末」だ。この映画は、ある意味この二つだけと言いきってもよい。
主人公二郎は、子供の頃からとても折り目正しい真面目な性格だが、空を飛ぶことに強い憧れを持つ。しかし自身は目が悪くて飛行機乗りに成れない事を自覚していたので、設計士となり、夢で見た理想の飛行機を自らの手で設計する目標を抱いて精進していくことになる。
二郎が憧れる設計士カブローニと夢の中で出会ったとき、カブローニは二郎に対して言う。「創造的人生の持ち時間は10年だ」。
二郎はその10年間を力を尽くして生き、その結果、夢に見た素晴らしい飛行機を設計する。しかし、人の技術は戦争の道具にも成り得る。飛行機は正にその典型。時代は丁度第二次世界大戦へと突入する頃。二郎の作った夢の飛行機は戦火の中で燃え落ち、敗戦だけが残ることになる。
二郎の作った優秀な戦闘機=ゼロ戦は、敵国の多くの人を殺し、その優秀さ故に戦火を広げた可能性もあるだろう。しかし、少なくとも映画の中の二郎は戦争を否定も肯定もせず、ただ国の為に国民として出来る事をしただけとして描かれている。この部分に批判を交えるのは、純粋に映画を見る目が濁っているとしか言えないだろう。
二郎の純粋な夢は、国家というより大きな存在の道具とされ、虚しく散っていった。その切なさがこの作品の一つの肝と言える。
そしてもう一つ、ヒロイン菜穂子と二郎のラブロマンスについて。二人は運命に引き寄せられるようにして出会い、愛し合う事になる。しかし、運命は残酷で、菜穂子は結核を患う身だった。
二郎が設計に力を尽くしている間、菜穂子は山の療養所で結核の治療に臨む。しかし、自身の命の期限が二郎の設計が終わる時まで待てないという実感があったのだろう。命を削ろうとも二郎との時間を大切にすべく山を降り、慎ましやかな結婚式の後、設計に励む二郎の傍らに居続ける。
そして、今では二郎と菜穂子の夢の結晶とも言える飛行機の設計図が完成したのを見届けた後、菜穂子は自ら二郎の前から姿を消し、療養所に戻るのだった。
夢に人生を捧げる夫に対し、自分の命を捧げて愛を貫くことで夫の心を支え続ける妻。その結末が間近に迫った死による別れと定められている中の、切ない愛の形が描かれている。
この二つの切ない物語の構造は、互いに関係し合い、共に切ない結末に向かっていくことになる。
ところで、ここで最初に言った「なぜ唯ちゃんが涙を流すほど感動したのかという点について」を解説してみたい。
人の感性として、一つの物語からくる感動は理解の範疇で処理することが出来る。しかし、二つ以上の感動を同時に与えられた場合、感動という行為自体が心の中の感情を一杯にさせる行為なので、その心一杯の感情が重なると、理解の範疇を超える事になる。
理解の範疇の感動は、理解する心によって感情を制御し抑える事が容易だが、理解の範疇を超えた感動はなかなかそうはいかない。結果、制御できない感情によって、自分でも想定できない涙を流す事になる。
しかし、こう考えると唯ちゃんの涙はその事自体が感動的に思える。
というのも、この場合、唯ちゃんはまず女性として愛に命を捧げるヒロイン菜穂子の切ない結末に感情移入して感動したかもしれない。しかし同時に、二郎の夢への強い憧れにも深く感情移入し感動したはず、ということになる。
二郎の人生を形作る映画の中のセリフを思い出す。「創造的人生の持ち時間は10年」。
小倉唯アイドル声優だ。若くして創造的人生に足を踏み入れている存在と言ってもよいだろう。彼女はこの言葉にこそ深く感銘し、感動したのではないだろうか。
私は常々、若くしてこの業界に身を捧げて、アニメ界、声優界の文化を創造してくれる声優に対し、深い感謝の念を抱いている。その中の一人、小倉唯が二郎の人生に自分の境遇を重ねて感情移入しているかと思うと、なんだか胸が一杯になる。
映画の中の二郎の結末は、物語上、ただ「生きねば」という切ないものだった。
しかし、実際には文化は残る。現実世界において、日本の航空技術のノウハウはその後の敗戦国日本の復興の際に、とても大きな力となっていくことになる。映画の中の二郎と菜穂子の夢の結晶は決して無駄では無く、後の世の多くの人の幸福にも関与しているはずだ。
そして、アイドル声優についても、その一時一時の活躍がアニメ文化の継続に大きく貢献している。声フェチの私としては、「小倉唯の声」などは一つの新たな声のカテゴリーとして声優史に認知してもらいたいくらいだ(^^)。小倉唯においては、ただ切なさの感動だけでは無く、創造的人生に身を置く者の自負としての感動を抱いていて欲しいものだ。
それにしても、今回は映画「風立ちぬ」を見て感動し、小倉唯の感想日記を読んで二重に感動してしまった。不思議な体験だった。

「ロウきゅーぶ! SS」Character Songs 05 袴田ひなた(小倉 唯)

「ロウきゅーぶ! SS」Character Songs 05 袴田ひなた(小倉 唯)