豊崎愛生 2nd concert tour 2013「letter with Love」 東京国際フォーラム ホールA

豊崎愛生は自身でも言っているが、その声は作り込んだモノらしい。
元々のキーが高く、それを嫌悪して、しかし逆に個性にしようと色々自身で研究したとか。声のキーは実際にはその人の性格によるものだと思うのだけれども、思いのほか高い声を出してしまうとか、それを鍛錬してさらに高い声で魅力を出そうと努力するとか、豊崎愛生の声には、相当な精神性が詰まっているのではないかと思える。
そして、それは彼女の歌声にも当然反映している。
豊崎愛生の音楽に対するセンスは非常に高い。声に意識を強く持つくらいだから、当然音全般に対する感性も研ぎ澄まされたものなのだろう。
少し前までの彼女の歌は、その癒し系の声から想像できる、癒しの歌だった。
彼女が行ったという声の鍛錬は、その「癒し」部分を身につけるものだったのではないか、つまり、彼女の声の癒し部分であるウィスパーの「霞み」部分は、意識して作ったものなのではないかと思っている。
しかし、「癒やし」は「柔らかさ」につながる。どうしても声そのものに力が入らない。それでも魅力は出るが、曲のバラエティが足りない。特にライブ的なパンチのある曲を歌うのには適していないとも言える。
ところが、最近の豊崎愛生の歌声は、その癒しの「霞み」を出しつつ、その声が響いている。それも強く響く歌声だ。
鍛錬されたウィスパー、鍛錬された霞み。ならば、鍛錬された霞み部分を力強く響かせることも出来るということなのか。
この、自身の声に対するこだわりというか、執着ともいえる努力には、なんとも恐れ入る。
以前、「ウィスパーボイスは無駄な発声によるもの」的なことを書いた事があるが、正に、意識的ウィスパーボイスの持ち主である豊崎愛生だからこそ達する、境地的な歌声だった。
その得も言われぬ歌声、強い響きを持つ癒しの声に陶酔されられた。
そんな歌声と共に、彼女の独特なテンポのライブの廻し方も秀逸。すっと舞台に現れて、自然に歌いだしたり、トークしたり、さらには絵を書きはじめたり。
正に豊崎愛生だからこそ、彼女だけにしか出来ないライブイベントだった。