「神のみぞ知るセカイ」中川かのん starring 東山奈央 2ndコンサート 2014 Ribbon Illusion 舞浜アンフィシアター

このライブには参った。ここまでされてしまうと、感動が胸に迫り上手く言葉を構成出来ない。もう堪らない。
中川かのんを、いや東山奈央を最初に見た時を思い返す。細かいイベントを除けば、かのんのステージは全て見ていることになるのだろう。その最初の出会い。
そこでのなお坊はおそらく緊張し、とにもかくにも中川かのんを懸命に「演じて」いた。その様子にこのブログで物言いをつけている。

役を務めるという事と、その役を体現する事は違う。この中川かのんがデビューするイベントであるという事は、実は東山奈央のデビューイベントとしても機能すべきだったはずだ。つまり、東山自身が「アイドルの自覚」をもって臨まねばならないはず。けれども、あくまで自分は演者だという風に、東山は逃れていた。折角、歌やダンスはかなりこなしているのに、自身を語る段になると、謙虚のみが出てしまう。
それでは駄目なのだ。アイドルは自覚だ。自分が見られる存在として人からの賞賛を受け止める自覚が必要。

今回のライブで、なお坊は「私はかのんに成れなかった」と涙ながらに語っていた。もしかしたらこのブログ記事と同じような事をスタッフとかから言われたのかもしれない。そう思うとなんだか他人事とは思えない。彼女の涙に責任を意識してしまう。
その後のなお坊は劇的に進化し続ける。次に開催されたミニライブイベント、そして1stライブ、神のみ×ハヤテフェスと場数を踏み、アイドルとしての自覚を持った存在として、ライブにどのような意味があるかを理解したパフォーマンスを行い、一人アイドルとして全く遜色のないボリュームのライブを実施するまでに至った。
そして今回、なお坊は中川かのんの持ち歌を全てこのステージで披露してみせた。プロンプターも使わず、タップダンスも披露し、ついにはピアノの弾き語りまで成功させてみせた。これほどのクオリティーとボリュームのソロアイドルライブは、他にもそうは無いだろう。このライブを成功させるために彼女がどれだけの力を注いだのかと思うと、空恐ろしくなる。
中川かのんはバーチャルな存在だ。漫画とテレビの中にしかいないキャラであり、実在しない。東山奈央は、そんな不確かな存在の「代替」として、そのキャラを演じ続ける。他の多くのアイドル声優が、自身を表現するアーティスト活動の為に力を注ぐのに対して、なんと虚しい行為だ。
しかしその結果、架空の存在中川かのんは、そんな遠山奈央の献身によってこの現実に「顕現」する。今、このステージで、他の誰にも負けない程のパフォーマンスを見せつけるアイドルは中川かのんそのものであり、ステージ上の気迫がそう認識すべきだと迫ってくる。
それだけに、なお坊の見せた涙の意味はとても重い。胸に迫る。当初の「かのんに成れなかった自分」を深く反省し、その自覚からこの迫真のステージを作り上げるために、今までずっと努力し続けてきたと言うことになる。それがどんなに努力しても自身の為ではなく、架空のキャラの為であったとしても。
一人のアニメキャラ、架空のアイドルのライブとして、これほどまでに完成度の高いパフォーマンスを見られたことは、アニオタとして最高級の喜びだ。これほどまでに一つの作品の一つのキャラのために心血を注いでくれた東山奈央には、一人のアニメオタクとして深く感謝の意を伝えたい。
涙のあと、なお坊は観客に、自分はかのんと並び立つ存在になれたかな、と問いかけていた。そう、こんな素晴らしいライブを披露した以上、なお坊に「かのんの呪縛」はもう無いだろう。これほどまでの献身を見せてくれていた東山奈央には、今後、もっと単純に自身のためとなる活動をして欲しいものだ。
デビューしないかな。