岩男潤子 〜20th Anniversary〜 Motion Blue YOKOHAMA

20周年記念ライブとか。もう伝説級と言って良い人だ。ちょうど良い機会なので、ここで私の岩男さんに対する想いを書き綴っておこう。
私のイベント巡りはここ10年くらいが活発なのだけれども、それ以前からライブに行っていた声優がただ一人だけ居る。それが岩男潤子。友達から誘われて初めて声優のライブというものに行った。
それはとても上質なライブコンサートだった。それを声優がアニソンという要素を含めて作り上げている。アニメを全く違った形でより上質に体験できる場としている。未熟なアニオタとして物語重視でアイドルとか声優とかに無頓着だった私にとって、それはかなりの衝撃だった。元々アイドルアニメのカタルシスが好きだったこともあり、それを体現しているかのような彼女のライブに行くことにかなり深くのめり込んだ。
彼女の歌唱は超正統派。美しく滑らかな歌声を、時に繊細に、もしくは壮大に響かせる。元々個人的な音楽の趣味はクラッシックの構成とか表現力に魅力を感じるものだったので、彼女の歌声はとても相性がよかったと言える。アニメやゲームの壮大な曲などを歌ってくれると、それはもう感動に身を振るわされたものだ。
しかし、岩男潤子の活動が順風満帆だったかというと、必ずしもそうではなかった。
最初の躓きはやはり結婚発表だろうか。因みに私はその発表の後に彼女の活動を追いかけ始めたのでその前後のファンの空気の違いは良くは知らない。けれどもファンを減らしたのは事実らしい。少しずつライブ会場が小さくなっていく過程も体験した。
岩男潤子は声優として決して器用な人ではないので、その本業が上手く波に乗れていないという事もあっただろう。ぶっちゃけ、当時はキャラ声として未完成なものだから生っぽい不安定さとかが見えて、ある意味それが特徴になっていたり。女の情念が強い不安定なキャラとかを多くやっていたように思う。
ともあれ、声優活動も思わしくなくファンも少しずつ減るとなれば、彼女の歌手活動はその中身を突き詰めるためにアーティスティックな方向に向かうというもの。思うに、この頃の彼女はより歌の幅を広げんがために声質そのもの変えようとしていた。ただ滑らかなだではなく、よりシャープで輝きのある響きを声に持たせようとしていたのではないだろうか。
しかし、その頃彼女にとっての大試練が起きる。アイドルとしての方向性を大きく減じることとなった原因でもあろう、その結婚が破局した。
そして起こるべきして起きたのか更なる最大の試練。彼女に唯一残されていた彼女の声そのものが出なくなってしまう・・・
その原因は声を酷使し過ぎたからか、精神的なものか、体質的なものか、もしくはそれらの全てかは分からない。しかし、それでも彼女は歌うことを辞めなかった。その当時のライブにも幾つか行ったものだが、とぎれとぎれの掠れた声でそれでもライブを続けていた。
それはこちらとしても本当に辛かった。何が辛いかって、その歌を聞くことそのものが辛いというワケではない。もし出来ればいくらでもライブに参加して、彼女を支援したいという気持ちも湧いてくる。
しかし、それでは駄目すぎる。ライブとしての良さを感じられないのにそのライブに行くというのは、彼女に対してファン以上の何かを期待するようなもの。もちろん、そういった気持ちはアイドルに対する幻想の中では存在するものだろうが、幻想を現実には出来ない。ファンがその分を弁えるためには、その幻想を捨てなければならない。そんなアイドルとファンの関係性を突きつけられたのが一番に辛かった。断腸の思いで彼女のライブに通うのをやめた。
しかし、その後も彼女はライブを続けていた。それはもう執念と言っても良いだろう。そして、彼女の声は少しづつ回復していった。新しいプロデューサーとも組み、少しずつその活動も軌道に乗せていったようだ。
あるとき、彼女がとても小さいハコでソロライブを継続しているというので、そのライブを聴きに行った。
その時の岩男潤子は、以前の声が掠れて常に緊張と隣り合わせな様子だった時とは一転、とても穏やかなな様子でその姿を表した。
そして、その最初の第一声を聞いたとき…、その一声を聞いて、ただそれだけで涙が出た。別段こちらが最初から感極まっていたとかいう訳ではない。彼女の声が、その一声に込められたモノがあまりに密度が高く、美しい輝きをもって響いたので自然と涙してしまった。
その声はまるで蜜のように甘く、光のように輝いているように感じた。それはかつて彼女が目指していた新たな声の響き、それが一つの完成形に辿りついていたのだろう。歌を聞きながら徐々にその事に思い至り、後から感動がこみ上げてくる始末だった。
今の彼女は、以前のように持ち前の声のまま壮大に歌い上げるという事は出来ないのかもしれない。しかし、声とは本来人の精神が形作るもの。「声のままに歌う」などということ自体、大きな経験を経て歌手として熟成した岩男潤子には必要のないことだろう。精神の篭った、より人の心に響く歌声を手にしているのだから。
…こうして、奇跡的な復活を果たした岩男潤子を目にしたのだから、またそのライブに足繁く通うという方向性もあるにはあるのだろうが、実際のところ、こちらの方が堕落してしまっていた。他のイベントやプライベートに忙しくて以前のように行くことが出来ないでいる。
なので、20周年ライブたるものも、足を運ぶのも申し訳ない気持ちがあるくらいなのだけれども、末席を汚させてもらった。
このライブで、20周年として今までの彼女の活躍の転機となったアニソンゲーソンを取り上げていた。のだけれども、そこで彼女は、迫力のあるそれらの曲を、以前のように壮大に歌い上げる。声質の向上を伴いつつ、以前の迫力に勝るとも劣らない声を出している。「奇跡」という言葉しか出ないくらい感動したり。
彼女の歌に対する情熱が、この20年間の様々な出来事全てを糧にして、その出来事の大きさの分だけ魅力を加えて今の歌声を作っている。それは、他のどんな声優アーティストでも敵わないものであると確信できる。
ここに奇跡の声がある。最初は「ただ単に」綺麗なだけの声だったものが、歳月と精神の熟成によって、類稀なる美しいモノとなって、そこに存在している。
私自身は以前のように彼女のライブに足繁く通わなくなってしまった。やはりかつての辛い経験が心のどこかに残っているのかもしれない。
けれども、この奇跡については、彼女の歌声についてはより多くの人に体験してもらいたいと思わずにはいられない。岩男潤子の歌手活動が、少しでも多くの人に認識されるよう強く願っている。

やさしさの種子

やさしさの種子