外界のない世界のアイドル「μ's」〜ラブライブ!12話を見て〜

盛り上がっている。正に物語の大団円に向けて、受け手の感情を引っ張っていく素晴らしい展開になっている。見ていて感情がこみ上げ、涙を禁じえない。
・・・けれども、アイドルアニメマニアとしてどうにも気になっているところがある。それは、彼女たちμ'sは何故ラブライブに出ようとしているのかということ。
それって、前々回、「みんなで叶える物語」で説明がついてかのように描かれているけれども、実際にはあまり関係ない。前回の解散にかかるエピソードとも全然つながっていない。みんなで叶える物語のはずなのに、解散の決断は彼女たちの気持ちだけで決めているのだから。
だから今回もメンバーの解散に対する感傷ばかりがクローズアップされていて、それは物語としてとても盛り上げているのだけれども、実際に彼女たちが置かれている立場とか、もっと語るべきことがあるのではないかと思ってしまう。
そうなると、やはり確認したくなってくるのが、彼女たちのアイドルとしての根源。彼女たちは、なぜアイドルをしているのか。なぜ、ラブライブに出て日本一を目指しているのか。
それは、彼女たちの心の動きをみるとやはり「みんなで叶える」とかは関係ないように思えてくる。彼女たちは、あくまで自分たちにとって嬉しい記憶を作りたいがためにラブライブに参加しようとしているように思う。
それは、アイドルとして正しい資質だ。アイドルは自分の為に輝くべき存在だから。
しかし、同時にそれだけではアイドルは輝けない。アイドルは自分を輝かせてくれるファンをなによりも大切にするものでなければならない。それなのに、彼女たちは卒業と解散という現実の前に悲しみに暮れていて、そのことばかりに意識がいき輝かせてくれるファンの存在がまったく抜け落ちているような様子だった。
ただ唯一、学園の屋上に上って、穂乃果が世界と繋がっているというセリフを言ってはいた。そこでなんとかギリギリアイドルとして持ちこたえたが、しかし、そこに至るまでに彼女がそのセリフを言う前提は無く、そのセリフの唐突性が尚の事μ'sの立場を改めて露呈させたようにすら感じた。
アイドルを描くことは難しい。特に、そのモチベーションを描くことは。ただアイドルを誕生させるためならば、個人的な夢だけを描けば良いかもしれない。しかし、アイドルには二面性がある。それは自身の夢を叶える面と人から求められる存在になるという面と。より大きな存在になるためには、その人から求められるという部分をどうしても強く意識しなくてはならないし、なおかつ自身の夢も手放してはならない。その矛盾をどう描くかが問題になってくる。
ラブライブでは、結局その矛盾に正面から向き合うことなく、ただただ内面を描くのみで済ませようとしている。そのため受け手の感情を揺さぶるような展開を強めているが、それはある意味誤魔化しでしかない。ましてや今回の展開は、アイドルとして日本一になろうとしているようなものだ。彼女たちが勝つ理由として、その部分を誤魔化すことは、物語の綻びと言ってもよいだろう。
今更ながら、この物語は公野櫻子の物語なんだなあと思った。氏の物語は昔から今に至るまで徹底した内面の物語だから。
しかし、それはアイドルものとは相性が良くない。アイドルとは、本来外界とつながっているからこそ成り立つ存在だから。
このラブライブの物語世界では学園の他に外界というものが存在していないかのようだ。結構頻繁に描かれている秋葉原の描写ですら、そこに他の人間がいるのか疑問に思うほど他人の描写は少ないし、彼女たちとの直接的な接触は皆無といってよい。男として唯一存在している穂乃果の父もセリフどころか顔が描かれることすらない。
外界のない世界のアイドルグループμ'sは、そのまま外界に接続することなく、ただ美しい存在としてあり、そのまま解散に向かうようだ。そこに日本一になるリアリティはない。
それは内面を満たすことを求められるアニメ作品の中のアイドルとして、もしかしたら正しいことなのかもしれない。
けれども、それはやはり、どこか虚しい。