愛されるアイドルの成長と脱皮 〜究極の使命にたどり着いた美月〜

美月の想いが明確な言葉になった。彼女は使命という言葉を使う。アイドルの使命とは世間を元気にすることだと。
アイドルとは何かと言うことはこのアイドルブームの中で良く耳にすることだけれども、その究極の答えは「世の中を元気にすること」だと思う。アイドルはエンターティメントによって喜びを与える存在だ。だからそれを献身的に行う存在こそアイドルなのだというのは、実にまっとうな答えだ。全てのアイドルがこの答えにたどり着くといっても良い。
しかし、それはアイドルにおける究極の答えではあるけれども、全てのアイドルの答えではない。
アイドルとは、なにより愛される存在でなければならない。その愛される存在が、ただただ世を救うことを考える献身的な存在だったらどうだろう。自分を犠牲にしてでも他を救おうとする、ただそれだけの存在がいたとき人はそれを愛することは難しい。自分を犠牲にする姿を見せることは、負の面を見せてしまうということだ。誰もがそんな姿をみたいワケではない。
エンターティナーは芸を見せることで客から金を貰う。アイドルは擬似恋愛の対象となることでやはり客から金を貰う。このスタートでありベースはどうしても変えようがない。そこをすっ飛ばして献身的なアイドルを目指そうとしても、誰もそんなアイドルを見たいと思えない。
しかし、アイドルは成長する。一部のものは膨大なファンを持つスターアイドルとなり、世間に影響を与えるほどの存在となる。
巨大な存在となったスターアイドルはその存在自体が何かを与えるようになる。ファンとのギブアンドテイクの枠を通り越して自身から溢れ出るエネルギーに何か方向性をつける必要が生じてくる。それこそが使命。自身に与えるものがあるのならば、それは何のためにあるのかということを考えざるを得ない。そして、究極の答えにたどり着く。
その時初めて口にすることが出来るのだ。アイドルの究極の使命を。
それは、人から愛されて沢山のエネルギーを貯めていたアイドルが幼虫だとすれば、脱皮した蝶みたいなものだろう。正に美月はアイドルとして脱皮した蝶の様だ。
しかし、脱皮した蝶になったとき、それは愛されるアイドルで居続けられるのか、とも思う。
アイドルとは何か。それはやはり愛される存在だ。そして愛される存在とは、なにより自分を大切にするものでなくてはならない。自分の夢に一生懸命な者に人は感情移入し、愛情を感じる。「究極の使命」のための活動が自身の本心から喜びとなればよいが、そこに少しでもズレがあると無理が生まれる。それでも「使命」である以上引くことは出来ない。そうなったとき、使命を維持するためだけの単なるエンターティナーになってしまうだろう。
アイカツの物語の中、主人公いちごからの質問の答えとして美月はこのアイドルとしての脱皮を示した。それは美月を憧れの存在としていてより上に向かおうとしているいちごの目には眩しいものとして映っただろう。
しかし、アイドルがアイドルとして存在し続けるには、こういった究極の使命にたどり着いてはいけないような気がする。いちごにはアイドルとして存在し続けていて欲しい。そのために、いちごには美月の究極の使命に対抗するもうひとつの究極の答えを見出して欲しいと思う。

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