「艦これ」先行試写 プレミアム ライブ・ビューイング

第一話を観た感想は、出来は良い。想像どおり。映像の良さは想像以上。しかし、思っていた危惧がそのままで一般に通じる力を持っているか微妙、というもの。
艦これのアニメ化には超えなくてはならないハードルが、少なくとも大きく三つあると思っている。
一つはスケール感。
彼女達艦むすは帝国海軍の艦艇の魂を持つ存在として、ゲーム上でもその力を発揮しているはずというイメージはあるだろう。しかし、実際には弩級戦艦とかいっても武装している小娘でしかない。そのあたりの調整を映像的にどう見せるのかがまず最初に気になっていた。
これについては、彼女達の姿を変えて戦闘時は戦艦になるとかは映像的にもつまらない。しかし、スケールだけは変える事は可能だったのではないかと思っている。つまり、ウルトラマンよろしく出撃時に巨大化するという映像的な冒険をすれば、スケール感は出せるし、艦むすの可愛らしさに危うさも加わってより面白くなったのではないかと思うのだがどうだろう。まあ、デカ女萌えとかはやはり冒険だとは思うのだけれども。
次にハードルとなるのが、世界観的に艦むすの立ち位置をどこに置くのかということ。
特異な存在としての艦むすをどういった立場にするのかという世界設定は、物語の色合いを決める大事な設定だ。特異な存在であることをクローズアップすれば暗めの物語になるし、受け入れられている様子を描けば明るく開放的になる。
ただ、これについてはどうやら最初は徹底して視聴者に意識させないような設定にしている感じだった。つまり、艦むすが学園みたいな閉鎖的なところでキャッキャッウフフと楽しげにしていれば視聴者は喜ぶ、という流れに成りそうな感じ。これは、最後まで徹底して閉鎖空間で描けば典型的な萌えオンリー作品になるし、最後の最後で彼女達を外側から見た一般人を描けば、ドラマ的にも盛り上げられるかもしれない。彼女達が実は迫害された存在であるとすれば悲壮感が演出できるし、世界から頼りにされているとすれば感動作と出来る。恐らく誰もが嬉しい感動作にする展開が一番ありそうで、これは上手くいく可能性があるだろう。
そして最後ハードルが大日本帝国海軍である意味をどう描くのかと言う事。
やはり艦これの魅力の一つは、世界からも決して良いイメージだけでは無い大日本帝国海軍の艦艇を扱っている危さにあると思う。最近の日本が経済的に落ち込み中国などから良いようにやられている昨今、昔はこんな凄いものを日本人は作って太平洋を席巻したんだということを改めて知るという部分に、艦これの無意識下の快楽があると分析している。
それだけに、その部分をしっかり物語に取り込めるかというのは実は結構重要。あまり国粋的な感じにしてしまうと逆に嫌悪感を持つ人が出るだろうし、バッサリ切ってしまうと物足りなくなる。その辺りのさじ加減がどの程度盛り込まれるかが、かなり気になっている。
ともあれ、まず最初に分かるスケール感の出し方については、アイデアを感じさせなかったのが一つの気がかり。期待の大きなコンテンツなので、今後も大きな冒険をせず、当たり障りのない内容に集約していきそうな気配は濃厚。監督の草川氏は今までもずっとそういった立場で作品を作ってきている印象だし。
上映会で見て、あまり大きな期待をせず、面白かったら儲けものという態度で接していこうと思った次第。