オタク世紀末の萌えアニメ 〜「流され世代」の選ぶアニメとは〜

恐ろしや、恐ろしや。世界は移ろいゆくと言うけれども、本当に世界が変わってしまっている。
ここでは3年前くらいから「アニメブームが終わっている」とか「オタク期の終焉」とか語っていたけれども、今になってやっとそれが現実の数字となって出てきている。
全体の数字としての縮小もあるだろうけれども、何より売れる売れないの極端化、売れる作品の変質が如実に表れてきていて、今の「所謂オタク文化」を消費する人達の傾向が明らかになってきている。
最近の萌えアニメは売れない。売れないものはとことん売れない。以前ならば所謂「まなびライン」と云われる3000前後の数字がある程度の作品であれば確保出来ていたのに、今では1000に届かない作品が腐るほどある。それも、ある程度作画が安定していて、声優的にも問題なくて、キャラも魅力的で、物語としてもしっかりしている、クオリティとしてはそこそこのラインに達している作品であろうとも、売れないものは売れない。なぜなら、それが萌えアニメだから。
いや、萌えアニメでも売れる作品はある。傾向として挙げると三つ。
一つ目は、エロ紳士御用達アニメ。萌えと言うよりもエロといった方が近いような作品は以前からある一定の層がついているらしく、5000近い数字を確保し続ている。しかしこれも、少しでも「エロに手を抜いた」と思われると、即座に「温い萌えアニメ」認定されてしまい、売れなくなる。
そして、二つ目は「トレンディドラマ萌えアニメ」。つまり、今風のトレンドを上手く掴んだ「ナウい」アニメが、売れるw。それもたまにバカ売れしたりする。
時代を掴むというけれどもそれは結構単純で、たった二つの要素で成り立っている。一つはスマートな作画。アニメ画として癖の無いキャラデザと徹底して現実的に書き込んだ背景。キャラデザは少し少女漫画的な癖があっても良いけれども基本はアニメ画の範疇に嵌っている方が安心される、みたいな。
もう一つの要素はセンシティブな登場人物たちによる複雑な人間関係を絡めたドラマであること。これはトレンディドラマの基本だ。現実の人間関係に神経質になる現代人にとって、それと同等の雰囲気を持って無いアニメは玩具に見えてしまうのだろう。アニメで人間関係の勉強しました、みたいなw。
このスマート作画とセンシティブドラマのトレンディアニメであれば、ある程度の萌え要素があっても売れたりする。萌えだけれども、結構おしゃれなアニメなんだよ?とか、人に言い訳できる程度の作品である必要があるのだろう。
そして、三つめの売れる萌えアニメは、萌えど真ん中のゆる日常系アニメ。実はこれこそ作り手が萌えアニメとして一番狙いたいところなのだろうけれども、上手く当たらなくて屍累々となってしまう傾向の作品。つまり、一部の「萌えど真ん中」と認定された作品だけに人気が集中し、他の作品は空気の様に無視されてしまう。恐ろしや、恐ろしや。
あとは、元々の原作コンテンツが注目されていたとか、物語のクオリティーが異様に高いとか、人死に沢山して話題集めるとかの萌え作品が脚光を浴びることもあるけれども、基本的な傾向はこんなところだろう。
早い話、単に「萌えアニメ」と言うだけで漫然とある程度売れるということが無くなって、皆が何かの特異点に集まるかのように一極集中して売れたり売れなかったりする。
そして、この傾向の意味を分析すると、アニメを見る層の傾向が良く分かる。それは、以前よりも見る者同士の横のつながりが強く成っていて、他人が見てるから自分も見るということ。もっと言ってしまえば、自分の趣味や嗜好よりも、周りに流されて安全な作品を選んで見ているということ。
この情報氾濫の時代、より多くの他人の評価を取り入れて賢く見るのが正しい選択、という認識なのかもしれない。けれども、それって裏を返せばどこに自分の趣味嗜好があるの?とか思うのだけれども。
萌えアニメって、昔はオタクが見るモノだった。そしてオタクとは、良くも悪くも自分の世界に閉じこもって、自分の趣味趣向こそを第一に考えて作品に愛を注ぐものだった。
けれども、今はもうオタクはこの世には居ないんだよね。居ても絶滅危惧種
しかし、萌えアニメというジャンルは残っていて、それを楽しむ「所謂オタク文化」は現存する。そして、その売れる傾向がこうしたものだという事なのだろう。
正に「オタク世紀末」といったところかw。恐ろしや、恐ろしや。