箱庭化するリリカルなのは

うーむ、いかんなあ。
リリカルなのはシリーズが良い作品になっているのは、ひとえに原作者である都築氏の力によるものだろう。彼の意向が作品の隅々まで行き渡る体勢が出来ているからこそ、この作品は明確なイメージを表現する事が出来、良い作品になっているのだと思う。
しかし、それは逆に言うと、一人のイメージだけで作られた世界でしかない、という事になりかねない。
3話において、機動六課という公的機関設立の話が描かれているが、これがどうにも納得の行かない表現が多い。あんなにも若い指揮官達が、初めて作る、目的もあまり明確でない組織の立ち上げが、ああも簡単に、なんの軋轢も生じずに成し遂げられるはずが無い。早い話、「絵空事」もしくは「ままごとじみた」表現に映ってしまう。
設定について、色々と言葉でフォローがあるのは分かる。また、「リリカルなのは」が極度に理想化された人物ばかりが登場する物語であり、それが魅力な作品である事も理解している。しかし、このような「組織」の、それも「初期描写」となっては、さすがに誤魔化しがきかないだろう。実際の組織はこんな綺麗なだけのものでも、生易しいものでも無いはずだ。物語論としても、組織を扱った物語として、当然生じるであろう混乱を解決していく事こそが一番の醍醐味のはずだ。やはり、例えば、組織設立で生じた混乱をなのは達が綺麗にまとめるというエピソードを加え、それにより「だからこんな非常識な組織が存在できているんだ」という説明を付ける必要があったと思う。
多分、大人数が意見を出して作った作品ならば、このような平坦な描写にはならなかっただろう。都築氏の意向があまりにも強いか、もしくはそれを大事にしすぎる制作現場が、このような描写を許してしまっているのだと思う。これは、シリーズ全体を通して見た場合、決して悪い側面だけではない可能性もある。なのは達の活躍に焦点を絞った構成としては、成功しているかもしれない。けれどもそれでは、なのは達の活躍だけしか期待しない、それしか目に映らない、視野の狭いファンしか納得出来ない作品になってしまう。
狭い世界観の中でのみ、その魅力を発揮する作品…それは箱庭と言ってもいいだろう。
少なくとも、私が求めている「リリカルなのは」は、そんな作品ではない。