「まなびストレート! DIRECTORS' WORKS」を読んでテキトーな事をのたまう

http://www.style.fm/as/02_topics/top_071203a.shtml
先日のアニメスタイルイベントで手に入れたもの。
さすが、アニメスタイルの作った冊子で、アニメマニアが欲しがる情報「だけ」が載っている、とても嬉しい作り。その分、アニメ本編のカラー映像とかは、一枚も無い。すげー男らしい作りだw。
個人的には、各メインスタッフのインタビューに興味津々。というのも「まなびストレート」は、個人的に「失敗作」だと思っている。なぜ失敗したのかという事を、そこから読み解きたかった。
失敗作と思っているとは言ったが、それは「とても惜しい」という意味での失敗という認識でもある。どこが駄目だったのか、それはほんの些細な部分だと思うからだ。
作画は完璧なほど素晴らしい。演出も良い。斬新な部分も多々ある。「アニメーション」として、とても評価できる作品だと思う。多分、アニメスタイルが取り上げたのも、その部分で引っかかるマニアが居ると踏んでの事だろう。
では、ストーリーが駄目だったのか? これも一概に駄目とは言えないと思う。各エピソードに魅力的なものは沢山あるし、テーマも「学校と青春」という結構重たくしっかりした物だ。確かにそのテーマは描ききれていないとも言えるが、物語においてテーマを描ききることがではない。重たいテーマであれば、提示して終わる事も、決して悪い事ではない。
それに、なによりキャラクターが魅力的だった。各キャラクターがとても生き生きと活躍する様子が、とても楽しいアニメだったと思う。
では、なにが駄目だったのか。
それは、信じられないことだが、「作り手の感性」が滲み出た事だと思う。「作り手の感性」とはつまり、作り手にとっての「青春」の事。
学校に落書きをして反体制を気取る。学校に篭城して体制批判をする。アメリカに遠征して夢破れて帰る・・・。
これは1960年代の青春であり、今では形すら残っていない物だ。これらをアニメにおいてパロディーにしたのは押井守だが、その作品を享受した者も今ではアニメを見る人間として残っているかも怪しい。まなびの作り手もことごとく若く、実際にはこれよりも1・2世代後のはずだ。なぜこのようなものが彼らにとって「青春」の象徴なのか、まったくもって不明だが、推測するに、上の世代への憧れなのだろう。
つまり「憧れ」であって、自分達の「実体験」ではないのではないだろうか。
昔落書きをした人間は、今の時代落書きなんてすべきではないという事を理解している。学校に篭城した人間は、その自身のエゴが最後にどんな結末を招いたかも苦く記憶している。アメリカに遠征すれば、ごく普通でもそこそこ成功してしまう物だ。
「実体験」ではない「青春」を「自分達の感性」として描く。これほど空しい事は無い。「まなびストレート」は、そんな「虚構性」が見え隠れしている所に大きな隙があるように思う。
せっかく物語に乗せたしっかりしたテーマ性も、「虚構性」によって空しく回転し、無意味な苦味しか残らない。そうなると、せっかく魅力的に描かれていた萌えキャラも、空虚な存在になる。虚構である萌えキャラの甘味は、虚構の苦味で打ち消されてしまう。全てが反転してしまうかのようだ。
ほんの些細な作り手の感性、それが挿入されたことにより、せっかく積み上がっていた萌えアニメ、青春アニメ、神作画アニメ、として魅力的な作品が、ことごとく崩れ去ってしまっている・・・「まなびストレート」という作品は、そんな作品のように思う。
・・・そんな事を曖昧に考えていたのだが、この冊子によってさらにその思いは強くなった。
やはり昨日のイベント、最初から聞きたかった。編集長のレポートが早くあがる事を期待したいものだ。

がくえんゆーとぴあ まなびストレート!―DIRECTORS’ WORKS

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