ひだまりスケッチ×365雑感 〜うめ先生神話の補完物語として〜 

うーん。最終回を終えて全体の感想としては、やはり今一歩だったかなあ。
いや、良い作品なんだよ。一話一話丁寧に作られているし、キャラクターも魅力的だし、ほのぼのした空気も伝わってくる。見ていて幸せになる作品だ。だから、絶対に良い作品だと思う。
けれども、前作無印にあった独特な「気配」が感じられない。言ってみれば「神の気配」の様な物が無い。それがどうしても物足りないんだよなあ。
無印の「神の気配」、それを説明するのが結構難しい。
例えば、主人公ゆのは勇者だ。実はとてつもなく大きな使命を背負い、日々戦っている。
その相棒、宮子は魔法使い。実は世界をひっくり返すほどの力を持っている、所謂トリックスター
沙英は、既にその世界で一定の地位を獲得している市井にある王子。勇者を助ける。
ヒロは、王子の意中の姫であると同時に、実は世界を破壊することの出来る魔女でもある。
そんな四人がパーティを組んで、日々世界と戦っていく物語、それが「ひだまりスケッチ」の前作無印だったと言える。いや、私がその様に夢想して楽しんでいるだけなのだけれども。
では、そんな勇者ゆのの使命とは何か。それはこの世界を作った神になること。そう、このひだまりスケッチの世界には神が「実在する」。うめ先生という神が。w
つまり、この物語は、あらかじめ定められた物語なのだ。ゆのという勇者が世界の試練と戦い、うめ先生という創造神になる事が決定されている物語。こんな物語をなんというかと言えば、それは「神話」と言う他無いだろう。「うめ先生神話」。w
そんな神話的な物語だからこそ、その画像に潜むガジェットが意味を成してくる。
宮子は、子供の衣装を纏う事で神の力を手に入れ(幼童神)、パーティを導く存在になる。
ヒロは、女性的な意識を高ぶらせ、芸術から遠のくにつれて髪の毛が蛇のように蠢く(メデューサ)。
成功した存在は勇者への助言に現れるが、失敗した存在は姿さえも見せずこの神話世界から消える。
世界の端々に聖なるものと邪なるものが存在し、英雄ゆのの行く末に影響を与える。ゆのの漫画家になるという創造神への道は、実はゆのの精神面において、薄氷を歩むかのような正邪入り乱れる厳しい道なのだ。
ひだまりスケッチは、日々のんびりと同じ下宿の住民と擬似家族的な生活を営む、まったり癒し系の作品なのは間違いない。ただ同時に、主人公ゆのの内面を覗いてみると、決してそれだけではない、案外シビアな心の葛藤が存在している。その二つの描写を両立させているともいえるのが、象徴的な神話的記号なのだろう。
しかし、そんなゆののシビアな内面は、物語の核として前作無印アニメで使い切ってしまったのかもしれない。×365ではその後に残ったエピソードを使った為に、擬似家族のまったりエピソードに偏っているのかも。
ただ、救いなのは、このアニメの構成がザッピングになっているという事。無印と×365を合わせて、時系列順に視聴して見れば、「ひだまりスケッチ」としての、まったり癒し系とシビアな心の葛藤がバランス良く感じるかもしれない。アニメ「ひだまりスケッチ」は、まだまだ色んな見方が出来ると思う。これから色々と試してみよう。
第三期にも大いに期待しているしね。

ひだまりスケッチ×365 Vol.1 【完全生産限定版】 [DVD]

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