「樹木信仰」が萌え作品と相性が良い理由

なぜ泣きゲーではしばしば樹木が奇跡の象徴として登場するのか:Key『Rewrite』を見すえて
http://d.hatena.ne.jp/hachimasa/20090124/1232800260
人様の記事で申し訳ないけれども、面白い切り口だったので反応してみる。
この記事では、樹木がなぜ奇跡の象徴として扱われるのか、という事について色々と考察している。それはまあ、元を辿れば「ときメモ」だよとか、金枝篇だよとか、色々あるだろう。泣きゲーだと人の生き死にが絡んでくるし、そこには奇跡が必要。そして、日本人には樹木信仰が結構定着していて、とても受け入れやすいという事が判ってくる。最近の作品として、「かんなぎ」なんて、もろ樹木信仰の神様だし。
けど、それじゃ樹木信仰が日本人に普遍的だから、泣きゲーにもそれが取り入れられているだけかと言えば、それだけじゃないと思う。いや、ここではもっと広げて萌えとの関係について考えてみたい。
感覚だけれども、萌えはとても樹木信仰と相性が良い。「Kanon」とか「D.C.」とかが破格のヒットを取ったのも、そこに樹木信仰の要素があったため、萌え作品としてとてもバランスが良く感じたからと思う。もちろん、「ときメモ」も。
ここの日記的に言えば、「ネギま!」にも物語の拠点麻帆良学園の中心に「世界樹」が有る。樹木信仰がかなり効果的に使われていると言えるだろう。
ではなぜ、萌えと樹木信仰の親和性が強いのか。・・・その理由は簡単。萌えが「箱庭」志向だから。
「箱庭」とは、不都合な要素を排除するフィールドの事。つまり萌えにとって、現実にあって然るべき苦痛が、できるだけ無い方が望ましい。他の男とか、他の男とか、他の男とかw。
そして、樹木信仰とはそれそのものが信仰の対象、そこに小さな宗教空間を作り出すことが出来る。つまり「箱庭」の象徴だ。精神的に守られた世界であり、その世界の中に居れば、それだけで安心することが出来る。萌えというものを扱う際に、これほど都合の良いシステムは無いだろう。「ときメモ」なんかは、「好きとか嫌いとか教」みたいなのが作品内にあるんじゃないかなw。
また、萌えを描く際に、このような「箱庭」は何がしかの方法で演出する必要があるともいえるのだから、それが樹木にかぎらなくてもそれに類するものは必要だろう。萌え作品における、必須の要素を担うシステムでもある訳だ。
樹木信仰は、奇跡があってもそこに宗教が有れば納得できるという、奇跡の発生装置として日本人に受け入れられやすいシステムである上に、「箱庭」という、萌えに不可欠な空間を作り出すことも出来る、正に萌えにとって都合の良いシステムと言えるだろう。
今後も、萌え作品が大量に制作されていくとすれば、この樹木信仰が使われる可能性は高いと思われる。