サマーウォーズは、正しいアニメ

土曜日に見た。
見ていて楽しいし、見終わった時爽やかな気分になるアニメだ。大変良く出来た作品だと思う。
けど、・・・辛いなあw。この作品は辛い。
まず、設定上、色々と無理があったりするのだけれども、それを一々穿り出しても仕方が無い。それは、誰もが判りやすく、楽しく見られるようにする工夫としての無理なのだから、そんな事を指摘するのは愚かしい。無理を感じさせないようにするのが一番なのだけれども、まあ、許容範囲に収まっている。
そして、この物語には、結構明確なテーマがある。これが凄い。
この作品は、細田監督を一躍有名にした「ぼくらのウォーゲーム」と同じ構造をしているのだけれども、ここで描かれているものは、全く違うと言って良い。
「ウォーゲーム」は、子供たちがネット上で力を合わせて、世界の危機を救うという物語り。しかし今回、ネット上で世界の危機があるの同じでも、その世界を救うのは「大家族」。これは、ほとんど同じ様に見えて、全然違う。なぜなら、前回、世界を救う力は、ネットの中にこそあったのだけれども、今回世界を救う力は、ネットの外、大家族の団結力にあるから。
ネットが世界の大きな部分を動かし始めているのは事実。その危機を救う力は、同様にネットの中にある。だから、ネットに精通している僕たち子供の力は凄い・・・という優越感・自己肯定があったのに対し、今回は、その部分が全くそぎ落とされているとも言えるだろう。
しかし、それが「間違い」なのかというと、そうでも無いところが辛い所。
おそらく、監督は「ウォーゲーム」を作った時から「これでよいのか」という気持ちを抱えていたのでは無いだろうか。私も、「ウォーゲーム」の構造に強いカタルシスを感じると共に、若干の危惧を感じていた。
ネットで危機が生じて、ネット内で仲間を作って、ネットの中だけで世界が救われる。それって本当に正しいの?
確かに、ネットはその特性から、一人の力を際限無く増幅するような事も有り得るし、一人が世界をひっくり返す事も出来るかもしれない。そして、ネット上で多くの人とつき合う事も可能だ。
しかし、結局ネットは一つのツールでしかない。どんなに一人の力を増幅する特性を持っているものであっても、それは元々、リアルでどれだけ力を蓄えたかにかかっているし、最終的にはリアルに敵わなかったりする。ネットの仲間だって、オフで顔を合わせるまでは、誰もが一応一線を引くものだろう。
ネットが世界を動かす、ネットを操っていればその力を手に入れられる、というのは全くの幻想と言って良い。そんな幻想をエンターティメントとして与えてしまうのは、やはり危険だ。「ウォーゲーム」を作った後に細田監督はそう感じたのでは無いだろうか。
そして、その反省から生まれたのがこの「サマーウォーズ」であり、「大家族」「絆」だとすれば理解できる。そして、この作品の正しさについても納得できる。
けど、この正しさは、私にとって辛いものだ。もしくは、多くの現代人にとって辛いといえるものかもしれない。
人の繋がりが大事と言っていっているけれども、現代はその繋がりが断絶している時代だ。消費拡大の目論みから、社会全体が個人主義は正しいと信じ込み、核家族化が進んだ。個人の娯楽も肯定された。一人一人が自分だけを大切にし、自分の快楽を最優先し、個々が断絶し、孤立していった。今のオタク文化があるのも、正にその流れがあっての事だろう。
私は自分をオタクだと認めているが、それが決して褒められたものではないと常に思っている。この様な流れの中に身を委ねるのは誤りだと思っているから。
多くの現代人は、社会との繋がりが希薄だ。繋がりのある社会は、自分の働く場だけだったりする。しかし、それは真の意味での社会との繋がりではない。雇用によって個人が社会に力を貸しているだけであり、そこには思想が無いから。思想とは、本来自身の生活がかかっているもの。それは生活コミュニティの中から生まれてこそ、真の意味で力のあるものだ。今のご時勢、生活コミュニティで自身をかけて思想をぶつけ合う機会などあるだろうか。多くの人が自身の思想を持たず、持っているつもりで実はマスコミに踊らされているだけなのでは無いだろうか。4年ごとに大きく揺れ動く政権を見るにつけ、それは現代人の思想の脆弱さを証明しているとしか思えない。
・・・恥ずかしい。オタクが妙な話をしてしまった。
現代は、個々が分断された脆弱な社会。だからもっと絆を取り戻そう。その象徴として、大家族は正しい・・・というのがこの映画のテーマと言えるだろう。それは、おそらく今の危うい社会にとって正しい提言だと思う。これだけの娯楽映画の中に、そのようなテーマ性を持ち込むとは、その志の清廉さ一つとっても、実に良い作品だと思う。
しかし、これはオタクにとって実に辛いのだ。大家族を作るには、まず家族を増やせ、という事。それから親族との付き合いも大事にしろ、地域コミュニティも大切だ、という事になる。
・・・オタクには無理w。そんな時間が、あるわけない。オタクは、そういった面倒を捨て置いて、自分の趣味の時間を優先する存在だ。この映画が正しいと認める事は、自分自身を否定する事になる。
しかし、現実問題、社会は本気で危なくなってきているようにも思える。この作品の正しさが、妙に痛い。
楽しく爽やかな作品でありながら、オタクである私にとって、後からジワリと辛くなる映画だった。