かなめも最終回感想 〜歪んだ世界からの救済、もしくは不完全な世界としての救い〜

これはかなり不思議な作品だった。
まず、この世界観が許されるのか?という問題がある。
女の子だけで運営されている新聞屋と、そこで働く事になる孤児となった呆れるほど純真な女の子。新聞屋の住人は、ロリの経営者「代理」や、ロリコンの飲んだくれ変態、真性レズ同士に、金にがめつい浪人と、異質な存在ばかり。さらに、元お嬢様のツンデレ少女とかも登場し、その世界観は常識を遥かに超え、もし存在するとすれば、それはエロゲとかの特殊な異空間でしか有り得ない、というほどの萌えオタ御用達世界観と思える。明らかに「萌え」を狙った、異常な程濃い萌え空間を形成している様に思える。
しかし、何かが違う。
この歪んだ世界の歪んだ住人達は、所謂「萌え」的な行動を取るには取るが、実際には、その奥に妙に泥臭い人間味を隠し持っている。まあ、所謂「人情話」的な展開をしていくのだ。
しかし、この「萌え」と「人情話」、合っているようでいて、実際には全然属性が違うだろう。「萌え」は、現実から乖離すればするほど引き立つのに対して、「人情話」は、現実の世知辛さを基点に語られるものだから。萌え的な異空間を作る住人たちが、実は「人情話」を引き受ける「現実の世知辛さ」を知った人物としてそこに存在するとなると、それはかなり「痛い」存在と言える。
「痛い」住人達による上辺だけは萌え的な世界観の人情話、というのが「かなめも」という作品の正体と思える。
そして、その歪んだ世界に入り込んで、人情話の主人公になっていくのが、孤児で貧乏な純真少女「かな」。典型的な萌えキャラだ。
ただ、よく居る萌えキャラと違うのは、彼女の不幸が、非現実的な所から発生したのに対して、現実に置き換えるとかなり大きい事と、その不幸な境遇を正面から捉えて、それが解消される心理の過程を丁寧に描いているという事。人情話でしか出来ない事をしっかりやっているという事か。
翻って現代において人情話というものが成立するのかと考えてみると、かなり難しいと思える。単に人情的な人物とかこそ、非現実的だから。現代の現実世界の不幸には底が無く、誰もが、何が幸福かすら語る事が出来ないように思える。身寄りの無い貧乏少女には、世の中不幸な人間はもっと沢山いるのだから現実を知るべき、程度の説教で、現実に下っていってしまうものだろう。もし、そんな世界で少女が幸福に立ち戻るには、非現実的な世界を潜るしかない。
そこで、そんな少女に「非現実」を提供するのが、歪んだ「萌え空間」だったりするのが、この「かなめも」の面白さであり不可思議な所だ。現代社会で、不幸な境遇から幸福にすがりつくには、非現実的な「萌え」しかないといわんばかりの歪みっぷりといえる。しかし、それが一つの正解のように思えてしまう。
そして、この「かなめも」の世界は、明らかに不完全な世界として描かれている。
一見非現実的な歪んだ「萌え空間」である「かなめも」だが、その歪みは、不完全さ故の歪みでは無いかという「ゆとり」がある。この設定上描かれていないであろう「ゆとり」があるからこそ、この世界を非現実的と決め付けられなくなっている。
不完全さ故の歪み、その歪みによって形作られた萌え空間、そこで描かれる人情話。
あまりにもバランスが悪そうだが、終ってみると、存外奇妙なほど上手くまとまっている。本当に不思議な作品だ。
この作品、原作ではまだ続いているのだろう。となると続編とかも有るのだろうか。不完全である以上、この後に解決すべき物語はいくらでもありそうだ。しかし、それを描いて今の「萌え」の範疇に収まるのか、保証できないような気がする。
続編が出来るか否か、非常に気になる。

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