ひだまりスケッチ×365特別編 〜不安の無い世界に本当の快楽はあるか〜 

うむむむむ・・・
悪くは無い、悪くは無いんだけれどもねえ。
いや、本当に良く出来ている。キャラ絵は第2シリーズの時より第1シリーズの時に戻ったみたいだし、四人の関係もとても良く描かれている。「もう、これで完成形」という「ひだまり空間」がそこに出来上がっていて、見ていて幸せな気分になる。
ただ、どうしても物足りなさを感じるのは何故だろう。それは、第2シリーズ「×365」になってから感じている事。
そもそも「ひだまりスケッチ」がヒットした、この作品が求められた要因は一体なんだったのか。
多くは、「ひだまりスケッチ」に求められているものは、「擬似家族的まったりな雰囲気」=「ひだまり空間」だと思われているのでは無いだろうか。
もちろん、それもある。いや、それが大部分を占めているかもしれない。
けれども、ただそれだけで、予定外にシリーズが継続するほどのヒットに繋がったのかというと、やはり疑問がある。「ひだまりスケッチ」にはまった人達は、熱狂的なほどの熱い想いを向け、それだからこそDVDも売れたしグッズを買い漁った。それがただ「ひだまり空間」によるものであったとは思えない。
おそらく、その「ひだまり空間」は、作品を求めるに値する「要素」であったのは間違いない。しかし、作品を必ず求めずにはいられない「必然」では無いのではないだろうか。
「必然」のない「×365」は、ただ漫然とひだまり荘の日常を気持ち良く描いている「だけ」。「無印」の「必然」を引き摺っているから、ある程度それにも満足出来るが、それでも何処か物足らない。
とても気持ちよくて、それだけでも満足出来るのだけれども、どこか充たされない。それが「×365」というシリーズであり、それは特別編においても継続しているように思える。
では、その「ひだまりスケッチ」における、視聴者が求める「必然」とは何か? 「×365」に無くて「無印」にあったものは一体何なのか。
この事については、以前にも何度か同じ事を書いて来たけれども、また書きたくなってしまった。
要は、この作品の根本に有る「主人公ゆのの成長物語」という部分が弱いのだ。今回も、確かにゆのの成長を示すシーンは無いことも無い。しかし、全く足りていない。
ヒロインゆのは、非常に子供っぽい性格の少女だ。それだけに成長すべき部分が沢山有る。そして、彼女は非常に誠実だ。それだけに彼女は常に現実と真正面から向き合う事になる。
そうなると、彼女の内面はどうなるか。それは、非常に強い「不安」として現れる。成長に対する「不安」。それこそがゆのの精神面の多くを占めている。
新しい事が起きれば、新しい不安も出てくるだろう。ゆのは物語の中で常に不安と戦い、それに打ち勝たねばならない存在として設定されている。
だからこその、彼女を守る強い防御が必要なのであり、それこそが「ひだまり空間」なのだ。「ひだまり空間」は、ただ単に快楽を与えてくれる「要素」では無く、「ゆのの不安」という物語の核ともいえるものと結びついて存在する「必然」でなければならない。
例えば、今回、ゆのにとっては「後輩が出来る」「先輩になる」という事に対する、自分の子供の面に対する不安が出来ているはずだ。しかし、それが物語上クローズアップされる事は無い。「自転車に乗る」という、ささやかな成長にのみ固執し、両者の物語には繋がりが存在しないまま終る。
それは、ゆのの成長を示すものとして提示されてのなら、それでゆのは良いかも知れないが、それは「物語としては終っている」という事に繋がってしまう。
人生は困難の連続で、決して幸福な時間ばかりではない。ひだまり荘という幸福の場所にいるゆのであってもそれは同じなはずであり、だからこそ「ひだまりスケッチ」にも物語が続く要素があるのだと信じたい。
それをあえて描かない、描く段階が既に過ぎているのだというのであれば、「ひだまりスケッチ」と言う物語自体が、既に終っているのと同じかもしれない。
第三シリーズは、一体どのような作品になるのだろう。今はただ、それだけが気懸かりだ。

ひだまりスケッチ×365 特別編 (完全生産限定版) [DVD]

ひだまりスケッチ×365 特別編 (完全生産限定版) [DVD]