ひだまりスケッチ×365特別編「6月6日 赤い糸/6月7日 イミシン」にみる、「ひだまりスケッチの肝」

流石、長谷川菜穂子脚本だなあ。凄く良かった。
前回、少し苦言をしてしまったけれども、一気に覆された気分。これでこそ「ひだまりスケッチ」と納得させられる。・・・別に、ゆのの裸が多いからじゃなくてw。
今回は、どことなく緊張感を感じさせる作り。それは、ゆのがひだまり荘に来てまだ日が浅い頃の感覚なのだろう。それを上手く表現している。
実際には、原作の方では2月か3月の頃のエピソードなのだけれども、それをあえて6月頃の話にしている。これはおそらくゆの1年生の時として設定してるのだろう。単にそのまま描けば、ごく普通の緩めのエピソードになるのを、前後に一寸したエピソードを挟む事で「なんとなく」緊張感が出ている。それが凄く良い。
冒頭、ゆのの夢から始まる。なんだか急かされているようだが、その意味は判らない。
そして、「赤い糸」の、単にゆるーいエピソードに繋がっている。「夢を見るゆの→遅刻しそうになる→宮子が階段で滑る→服を破ってしまう→吉野屋先生に美術室に呼ばれる」という感じでエピソードが繋がっていく。
そこで、吉野屋先生からの薫陶を受け、スケッチをしたくなるゆの。しかし、スケッチブックを探すも見つからない。ひだまり荘の仲間や先生に相談し、助言を得ながらスケッチブックを探す。そして、見つかった場所は「ベッドの中」だった。
ここで、冒頭のゆのの夢の意味がなんとなく類推出来てくる。ゆのは自分の絵に行き詰まりを感じていたのだ。ベッドの中で、夢うつつになりながらスケッチをするほどに、精神的な焦りを感じながら眠りについていたのだろう。しかし、夢を見ることによって、その焦りを一時忘れていた。
そして、その後、「赤い糸」のエピソードで様々な体験をし、スケッチブックのエピソードでざまざまな助言を受けた後、そのスケッチブックに辿りつく。
その時、ゆのは、ごく自然にスケッチを完成させることが出来た。
このエピソードは、「どんな些細な事でも、たとえ遠回りと思えても、意味のある事に繋がっている」という、一寸した教訓のようなもので統一されている。非常に構成のしっかりしたエピソードだ。
ゆのというキャラクターは、一見普通の少女の様でいて、案外独特な性格の持ち主なのかもしれない。彼女は少女として一寸した壁にもすぐ躓いてしまうほどの弱さを持っている。が、躓いても決して諦めずにあがき続ける。それが得な事なのか、何か意味のある事なのかも分からずに、無駄と思えることを延々やり通す。自宅で無くした筈のスケッチブックを探して、多くの人に尋ねたり、学内を彷徨ったりするほどに。けれども、それが彼女の感性の糧となっていく。
そして、少しだけ、前に進み続ける。その歩みは非常に遅いが、それでも着実に。
例えば、この様な行動を傍から見てどう感じるだろう。「どんくさい」と思われて相手にされなければ、ゆのの歩みはそこで止まってしまうかもしれない。しかし、「ひだまり荘」の住人は、そんなゆのの行動を受け入れていく。だからこそ、ゆのは歩み続ける事ができるのだ。
ヒロインゆのの持つ目標と、それに伴う緊張感という「肝」がしっかり描けている事によって、ひだまり荘の意味がとてもよく表現された回と言えるだろう。これこそ「ひだまりスケッチ」と言えるエピソードになっている。
それにしても、前回、「2月10日 どこでも自転車/2月11日 うさぎとかめ」にこの様な緊張感が無くなっていたのは、「ゆのの目標・成長」が既に一段落したからという、構成上の意図によるものなのだろうか。そうなると、「ひだまりスケッチ×☆☆☆」では、そのようなゆのと後輩達を絡めた、のんびりしたエピソードになるのかもしれない。それはそれで、ほんわかした幸福な作品になりそうだが、「作品を求める意味」そのものが大幅に減じかねない気がする。
ゆのの成長物語はまだいくらでも描く事ができるだろう。もう暫くは、それに付き合う機会を与えて欲しいものだ。

ひだまりスケッチ×365 特別編 (完全生産限定版) [DVD]

ひだまりスケッチ×365 特別編 (完全生産限定版) [DVD]