「ドラえもん のび太の人魚大海戦」初日舞台あいさつ TOHOシネマズ日劇2

時間と場所的に都合がよかったので、つい参加してしまったよ。すみません。(何故か謝る)
最近のドラの舞台挨拶とかって、どうでもいい芸能人ばかりで興ざめだったのだけれども、今回は田中理恵飯塚雅弓がゲスト。ありがたい。実際、このくらい堅いキャスティングはして欲しいもの。それに、映画か30周年、ドラえもんキャストの面々を見られる機会でもあり、つい食指が動いた。
思うのだけれども、やはりキャストの人柄ってキャラに反映する事があるのかもしれない。どうも最近、ジャイアンが「きれいw」すぎて、スネ夫のキャラの方か立ってきている気がする。それも、中の人の雰囲気が乗り移っているのだろう。実際、他の三人も少しずつ変化してきている。作品は生ものだし、そういった事もあるのだろう。それが受け入れられていけば、それはそれでよいのかも知れない。
アニメの内容については、結構「残念」な感じだった。もちろんキッズ向けなので、そういう視点で見たのだが。
考えてみれば、藤子・F・不二雄が絡まない劇場版はあまり見ていない気がするので、どの程度の完成度を求めればよいのか分らないのだけれども、この映画は、藤子の持っていた「科学やSFの尊重」の部分が大きく損なわれている気がする。設定だけ並べて、ハラハラする事件を次々起し、お題目の自然賛歌で〆ればよい・・・的な作りだった。
のび太達は感情論的に二種族の戦争に参加していくのだけれども、実際の所、敵の種族は悪の権化としてとてもチープだし、味方した種族が本当に正しいのかすら分からない。知らない内に環境破壊がテーマに組み込まれているのだけれども、それは誰の責任で、誰が取り組むべき問題なのかを言っていない。実際には、それをテーマにしたい訳ではなく、話の盛り上げの演出程度で使っている。
何か大きな問題を取り上げた時には、その裏に責任と義務が生じるという現実を取り上げず、甘々に作っているのだろう。その事に気付いているのかすら分らないほどに。
子供向け娯楽ってこれでよいのかな、と疑問に感じる。子供が主人公なのだから、甘々な事が描かれる事はあってもよい。ただ、現実の問題を取り上げた以上は、その問題に取り組む現実の視点を組み込むべきだ。この映画は、「子供にお菓子を与える」としても、そこに保護者の視点が含まれていないようなもの。子供は、例えその場で大人の視点を理解できなくても、それが大切なものである事を敏感に感じ取り、心のどこかに残していく。そういう要素があったからこそ藤子・F・不二雄の作品は残ってきたのではないのかな。
単純に、この劇場版は海洋物としての佳作「のび太の海底鬼岩城」が既にある中で、それを押しのけて作られているような設定でもあり、そういった意味でも非常に残念。この様な作りをしていると、結局「ドラえもん藤子・F・不二雄のものだけ」という結論が出てしまう気がする。
大事な「種」は大切に育てていって欲しいものだ。

映画ドラえもん のび太の海底鬼岩城 [DVD]

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