けいおん!は何故売れたのか。〜ヒットへの最後のワンピース〜

今更ながら、この事が話題になっているような気がする。まあ、映画もそこそこヒットしていて、所謂オタク系のアニメでありながら、そのオタク系作品としての想定を超えた売れ方をしているようなので、誰もがその謎を考えずにはいられないのだろう。
「オタク系作品としての想定を超えた」とはどういうことかと言うと、所謂「萌えよん」と呼ばれる四コマ原作で、女の子しか出てこないゆるゆるの作品が、基本的には男オタクをターゲットにしているのに対し、けいおんはそれ以上に広い層から受け入れられているらしい、ということ。けいおんのヒットの理由を考える為には、なぜけいおんが女子や幅広い年齢層にも受けているのか、という事を考えなくてはならない。

  • 性別の壁

まあ、そういう点では理由の一つは既に挙げられている。つまり、「女子目線でも見られる作品」だということ。
けいおんは、可愛い女の子が出てくる作品として、男オタクが喜ぶ要素に満ちているが、その作品が女子からみても「見られる」作品だということは、作品として強い要素だろう。男オタクだけでなく女子が見ることで、パイが広がった事になる。因みに、女子が「見られる」様にするためには、作品は何をすればよいのか。基本的には登場する「女の子キャラクターが媚びない」事だろう。男に隷属するような行動を取るキャラを女子は非常に嫌う。いわゆるジェンダーを意識させない作りが必要だ。

  • オタクの壁

ただ、思うにけいおんは、ただ女子にも受けたから、それだけでここまでヒットしたのかというと、もちろん違うだろう。けいおんは、ただ女子に受けただけでなく、所謂オタク層を超えたところまで届いているらしいということで、「社会現象だ」と嘯くぐらいにまでなっているのだと思う。
まあ、オタク層を超えたというのは少し言いすぎで、コテコテのリア充には到底届いていないだろうから、ライトオタク層に広く受けた程度なのだろうけれども、それでもその受け手の広がりはこの手の作品としては、とても珍しい事だったろう。
なぜ、ライト層に広く受けたのか。それはおそらく作品の「薄さ」にある。「薄さ」というと少し語弊があるかもしれないが、所謂オタク作品としての濃さがないこと、これが大切だったのだろう。例えば、ハルヒのような作品では、SFの要素が濃厚に込められている。SFは、言ってみればオタクのシンボルと言える。他にもメイド服とかも出てきて、オタク臭がふんだんに盛り込まれていたハルヒは、主にオタクの中のヒットがメインだったといえるだろう。オタクが一般人の友達に勧めるのにもかなりの抵抗があったに違いない。
しかし、けいおんではただ可愛い女の子が学生生活や楽器を楽しむだけの描写に終始し、そこには抵抗がほとんど発生しないだろう。ただアニメである事(ついでに言えばそのキャラデザもだが)だけがオタクとしてのシンボルであり、それをクリアできる人ならば問題ないほどの「薄さ」だったので、広く受け入れられたと考えられる。

  • アニメの力

とまあ、けいおんが受けた理由を二つ挙げたのだけれども、このくらいは誰もが考えていることだろう。それに、この二つの要素は、実際には消極的要素に過ぎない。つまり、女子にも受けるように、男オタクにとって魅力的ともなりえる女性の媚の要素(例えばパンチラとかも含まれる)が排除され、更には、オタク的な濃い展開なども排除する。どちらも消極的要素による理由であり、つまり、売れる環境を作った理由にはなるが、売れた理由としてはぜんぜん足りないだろう。
もちろん、これら消極的な要素から浮かび上がってくる「等身大の女の子達」が魅力的だったということもあるだろう。ただただその辺に居るような可愛い女の子達の描写を丁寧にする事がとてもアニメとして魅力的だったのかもしれない。アニメには、ただ普通のことを描写するだけで、それが魅力的になるという力がある。写実絵画に魅力がある様に、京アニの濃厚な日常描写、人物描写が、それだけで魅力となっていた事は確かだ。
しかし、それがヒットを飛ばすほどの要素なのかというと、これもまた、もう一つ足りない気がする。

  • ウケの核

で、この謎の、つまりけいおんが受けた理由の最後のワンピースなのだが、結局とても単純な所に落ち着くのかもしれない。
それは何かというと、「けいおんの魅力はエンディングに表されている」ということ。
けいおんのエンディングはとてもカッコよくて魅力的だ。これがけいおんの物語世界と繋がっていることが、けいおん人気の核なのではと推測する。・・・もう少し説明しよう。
けいおんのエンディングテーマは、まるで本物のアーティストのPVのようにカッコよくて魅力的だ。これは、物語世界のゆるゆるな軽音部HTT達とはかけ離れた描写と思える。
しかし、この落差が絶妙といえる。軽音部HTT達は本当にこのようなカッコイイ演奏は出来ないのか。いや、彼女達には可能性がある。もしかしたら何時かこのようなカッコイイ姿を見せるかもしれない。なぜならば、彼女達のバンド好きだけは本物だから・・・そう思わせるエンディングと言える。
これがどういう効果を生み出すかと言うと、軽音部HTT達に感情移入して見ている者に優越感を与えることになる。ゆるゆるの学生生活を過ごしていても、そのキャラ達(自分達)はオリコンで上位をとれるほどの力を持っている、ということだ。
また、この「未来への期待」という点で特に大きなキーを握っているキャラクターが、唯だ。彼女の、一部だけ常人を超えた集中力の高さは、不可能を可能にする期待を抱かせる。唯のザリガニのエピソードは第1シリーズの最終回だったが、この描写こそがけいおんの物語世界とエンディングを繋ぐ、そして、けいおんの人気を加速させる最後のワンピースだったとも思っている。
ごく普通の女の子になっ(感情移入し)て、偶然ギターを手にして、ふわふわな学生生活を送りながら、気が付いたらオリコンで1位をとったり、さいたまスーパーアリーナでライブをしていたりして、絶大な優越感を得る。そんなふうにアニメ世界と現実世界との「繋がり」を感じられることが、けいおんの魅力なのだろう。そして、この絶大な優越感という魅力が作品に隠されている事が、男女を問わず広い層に伝わったことにより、けいおんはヒットしたと考えている。
この「繋がり」は、けいおんが軽音を題材にしていたからこそ出来た繋がりともいえる。そう考えると、結局「けいおんけいおんだからヒットした」という事になるwのかもしれない。

映画「けいおん!」劇中歌アルバム放課後ティータイム in MOVIE

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