たまゆら〜hitotose〜第5話感想 涙の繭に包まれながら、なので

折角なので、本編の感想でも書こう。特に、この5・6話あたりは、個々のキャラクターの深い部分を描いているので、興味深いエピソードが続いていたりする。
で、まずこの5話は、たまゆらの中でも特に特異なキャラクター「ちひろ」にスポットが当たる回。
ちひろは楓の幼馴染だが、現在は一緒に住んでいない。楓が汐入に住んでいた時の幼馴染であり、それはどういう事かと言うと、楓の最も苦しかった時期、つまり楓が父を亡くした時にその傍にいた親友である。
彼女の特徴は、とにかく涙脆いこと。何かにつけてすぐに泣く。そして、可愛い物が大好きで、奇妙なぬいぐるみをいつも作っていて、どうやら楓以上に人見知りな性格のようだ。
このキャラの造詣が実に素晴らしい。
たまゆらという作品は、言ってみれば過去を起点にしている物語だ。もしくは「過去から離別する物語」と言えばよいか。既に、もっとも重大な出来事は過去に起こっていて、しかしそれを直接描く事はしない。その過去が悲しい出来事であるのに対し、そこからどうやって新しいところに向かっていくのか、そこにある普通の日常を描く物語となっている。だから、一つ一つのエピソードは淡々としているのに、どこか重みがある。その日常に物語が生まれている。そういった構成の物語と言える。
そして、その過去を象徴しているのが、言ってみればこのちひろというキャラと言えるだろう。
彼女の涙は、正に楓の涙だ。この少女は、恐ろしいほどに人に感情移入する性格なのだろう。普段から可愛い物、軟らかい物に惹かれて、友達を作ることにはかなりの抵抗がある。それは、彼女の心がむき出しの心だから。他人と自分の心が違う物だという当たり前の認識が、非常に薄いから。
人の心は本来とても軟らかい物だ。彼女の作るぬいぐるみは、おそらく彼女の心象風景その物なのだろう。それをストレートに形にする彼女には、とても凄い天才性を感じさせる。しかし、それは諸刃の剣と言え、彼女の心の脆さを表している。
しかし、そんな特異な性格の親友が居たからこそ、楓が人生の絶対的な絶望の中から立ち直ったといえる。楓の心の中の涙を、ちひろが代わりに涙にして泣いてくれる。楓の悲しみを代わりに請け負ってくれている。そうやって楓は、ちひろという悲しみの代弁者によって心を癒し、父の死に対して向き合うまでに至る。もし、ちひろが居なければ、楓は少女時代を全て悲しみのまま過ごし、この「たまゆら」という物語のそのものである竹原の青春を過ごすことが出来なかったかも知れない。それくらいちひろという存在は大きい。
しかし、だからこそちひろは「過去の象徴」となるべき存在と言える。ちひろという過去の繭から出なくては楓は未来に進めず、その決別は楓にとって、正に必然だったのだろう。
この回では、そんな楓の過去を受け止めてくれたちひろが、未来に住む楓のもとにやってくる話。
この回のちひろは物語の最後付近まで、何処か彼女の心の中とは別の言動をとっている印象を受ける。それは当然、唯一心を開ける楓と一緒に居る時ですら、「楓の友達」も一緒にいるのだから。心のどこかが閉じている。
しかし、探検という名の3時間ハイキングでありえない体の動かし方をして、その心の防御に少し隙が出来る。楓の前の普段どおりとして、涙を流す事が出来る。そして、実は最初から用意していたのに、渡す事が出来ずにいたぬいぐるみを、やっと渡す事ができる。彼女にとってぬいぐるみは彼女の心その物なので、それを受け取ってもらうことは、それ自体とても大変な事。しかし、その「楓の友達」は、彼女にも「ちひろの友達」といってくれる人達だったからこそ、渡す事ができる。
そして最後にちひろは本心を明かす。楓に他の友達が出来ている事が寂しかったと。しかし、それを明かした事は、その寂しさから開放されたという証し。
最後の別れの時、ちひろは涙を見せていない。BD1巻のコメンタリーにあるが、ちひろは、楓の父が亡くなってから涙もろくなったのだという。それは、本来の彼女はただ涙脆いのでは無く、悲しみを抱えた楓が近くに居たからこそだったということ。しかし、そんなちひろも、未来に住む楓を確認し、その友達と友達になった事で、未来に進む事になったのだろう。
笑顔で先に進むちひろの姿と、そして彼女の満面の笑みを写した、たまゆら一杯の写真で、物語が締めくくられる。