TVアイドルマスター最終回に寄せて 〜愛情と制御の証明〜

なんというか・・・実に感動した。
もちろん、物語に深くはまり感動したという事もあるが、それ以上に、作品に対する作り手の真摯さに、本当に深く感動した。これを作った人は、なぜ、ここまで出来たのだろう。
アイドルマスターに登場するヒロインは多い。ゲーム版の最初でも10人(あみまみを1とすれば9だが)なのに、今では14人(秋月を抜く事はできないだろう)にも膨れ上がっている。おそらく、他の良くある美少女ゲーム系アニメのヒロイン数と比較してもダントツで多い方だろう。(まあ、ネギまとかベビプリとかもあるけれども、規格外作品はおいといて)
そして、この大人数のヒロインを抱えている上で、更に問題なのが、明確なシナリオが無い事。・・・ゲームやった事がないので、どこまで無いのかは不明だが、一人ひとりのキャラクターにおいて、このエピソードをやればこのキャラは完了、などというものは無いと思われる。ただ、豊富で細かい設定の明確なキャラクター造詣だけがあり、それを描かなくてはならない。それも14人分を均等に。
アニメ化を目指すとすれば、おそらく普通の脚本家は頭を抱えるだろう。14人のキャラ造詣は明確なだけに、その個性を出そうとすれば他のキャラとぶつかりかねない。いや、物語を作るには、そのぶつかり合いを14人でしながらオリジナルシナリオを作らなければならないが、14人の順列組合せを考えると、一体どうすればよいのか。そんな事を考えれば、絶対途中で投げ出したくなるだろう。・・・アイマスのキャラたちを深く理解していなければ。
実際には、アイマスのキャラには膨大な積み重ねがある。アーケードから始めて、コンシューマーやら漫画やらラジオドラマやら。更に、ネット上ではありとあらゆるプロデューサーがキャラクターに解釈をつけて、独自の物語を作っていたりする。これらに触れていれば、彼女達アイマスキャラを動かす事は簡単。なぜならば、彼女達はもう「自立して動くような存在」だから。
例えば、誰と誰が喧嘩すればどうなる、仮に誰かが死ねばこうなる、などということが無数に表された事により、彼女達には他のどんな美少女ゲームも持ち得なかった確固たる「自我」が備わっている。アイマスを深く知っているものならば、おそらくそう感じるだろう。つまり、彼女達を描くことについて、キャラの多さに悩む必要は無い。ただ、彼女達一群をどこに設定し、どこにもって行くかを考えるだけで、勝手に動いてくれるだろう。
とはいえ、それは正にアイマスの事を深く知っているという事が前提条件。逆に言えば、その前提が無ければ、不可能ごとにすら近い。つまりは、この作り手はその前提をクリアしているとしか思えない。アイマスと言う作品においてのこの完成度の高さは、つまりは、作品に対する愛情の証明と言って間違いないだろう。
さらには、そんなふうに勝手に動く彼女達を、どう「制御」していくのか、という難しさもあっただろう。実際には一人一人が膨大なエピソードとイメージを持つキャラクターを、この25話のアニメの中に収める。勝手に動く彼女達だけに、一つ間違えればバランスを崩して一人のキャラに偏ってしまったり、物語自体がアイマス本来の雰囲気から逸脱してしまったり、ひどい事になりかねない。
しかし、それについても実にクレバーな構成で、最初から最後まで制御しきっていた。これについては、もう信じられないくらいの精密さと言えるほど。おそらく、ここまで細部まで計算されつくしたシリーズ構成は、他にそうは無いだろう。原作の膨大な設定、更にはネット上の無名のプロデューサー達の創作したエピソードまでも取り入れながらのこの構成ぶりは、空前絶後と思えるほどのものだ。最後までアイマスの雰囲気を保ちながら、一つ一つのエピソードをバランスよく描ききり、無類の構成制御力を見せ付けていた。
作画についても最初から最後まで素晴らしいものだった。声優たちも実に堂々たる演技だった。さらには、アイマスという作品の華でもある、歌の展開も見事だった。なにもかもが完璧で、最終回を見終えた後には、ただ清々しい想いだけが残っている。こんな嬉しい気持ちにさせてくれる作品は、そうそう無いだろう。
アイマスという作品がアーケードから始まって、ネット上で巨大な膨らみを見せた後、それを一つのエピソードとしてアニメ化するのは、きっと難しいことだろうと思っていた。実際に、一つの失敗もある。一アニメファンとして、この魅力的なコンテンツを前に、とても勿体無いと思っていたものだ。しかし、その難事がここにクリアした事で、よりアイマスというコンテンツは大きくなっただろう。更なる展開を大いに期待したくなってきた。
なにはともあれ、作り手には労いと感謝を・・・

「失敗」と書いたけれども、アイマスアニメ化としての失敗であり、アニメとしては面白いんだよね。ゼノグラシア