2011年オタク界所感

毎年、前年のオタク文化について、自分の観点で思いついたことを書いているので、今年も少しだけ語っておこう。
このところ、年々感じている事だが、「オタク界が住み辛くなっていくなあ」と思っていたりする。
以前のオタク文化は、どう頑張っても少数文化だった。それも、企業がオタクという特異な趣味の一群に対して、サービスを提供するという関係性が強かった。
これがどういう事かと言うと、様々なサービスに隙があった。同じ値段でサービスの質も様々だったり、その提供の仕方も広報が行き届かないとか、無駄があったりとかだった。サービス提供の対象数が少ないので、それでよかったのだろう。
しかし、だからこそそんなチープなサービスの中に、オタクとしての旨味があったりした。ほんの少し情報を掴んでおけば、オタク達が楽しめるサービスが結構安易に手に入った。それを喜ぶオタクも一握りなので、競争も楽しい、程度だった。
しかし、今は違うだろう。企業には、それを運営する側にもオタクが浸透しているので、どうにもシビアな値段設定をする。サービスが厚くなるのはありがたいのだが、それに見合った値段を半ば強制するかのような設定をしてくる。
そして、受け手の層もぐんと広がっている。誰もが情報を駆使して、それこそ生き馬の目を抜くような競争をしている。下手をすると、暴○○関係の資金源とかが絡んできたりするほどの、熾烈な戦いだ。
健全に企業の提示するサービスを受けるか、ちょっとでも人気が出れば、それすらもまともに手に入らない時代だ。
先日書いた「アニメが消費財になった事を誇りたい(2011/11/24)」は、つまりはオタク文化が世間に広く認められたということなのだけれども、それは誇らしい事とはいえ、実際そこに住むオタクにとってみれば、それほどありがたいことではない。まるで高級ブランド品のような意識を持って臨まねばならないオタク文化の状況に、なんだか気疲ればかりが募ってくる。
このような動きは、一面、文化の成熟として喜ばしいことのように思えるけれども、実際のオタク文化は、作品の評価システムも育たない未だ未熟な文化であり、今のところは単なる消費活動でしかない。ただ産業・消費活動の「したたかさ」だけが膨らんでいるだけで、それは結局、単なるサービスの減退にしかなりえない。
その結果、なにが起きるかと考えると、もしかしたら文化的なカタストロフが近づいているのでは無いか、という漠然とした不安を感じたり。つまり、今のライトオタク達の大半が、オタク産業に飽きるという事が起こりえるかも知れない。先の震災の影響とかを考えると、そんな夢想がどうしても頭をよぎってしまう。
・・・新年早々益体も無い夢想を並べてしまったが、現時点のオタク文化の見通しを考えると、エンターティメントのフロンティアも結構ネタ切れかもしれないと、どうにも暗くなってしまう。もう少し、業界全体で大きな動きがあって欲しいというのが、希望だったりする。その希望としての動きの最もたるものが、例えば昨年のACEだったのだけれども、それも震災で潰れたりして。
今年も行われるようだけれども、TAFも併せて、これらがどのような動きをするのか、震災後の動向を注目していきたい。