アイドルとアニメと声優と、選挙と戦争 〜あまりにも多重構造な「AKB0048」〜

いや、これは堪らない。あまりに多重構造過ぎて、ついていくのが滅茶苦茶ハードだ。
全くのオリジナルキャラである主人公達がいる。彼女達が目指しているアイドルAKB襲名メンバーが居る。彼女達の中の人はアイドル声優である。そして勿論、襲名メンバーにはオリジナルのAKBメンバーがあって、で、そのオリジナルAKBがオリジナルキャラを演じていたりする。・・・なにがなにやら、こんがらがってくる(^^;。
実際の所、こういった作品において、情報の過剰は決して悪では無い。有る意味、見る者のスペックを超える情報を叩き込む事により、その作品のみで思考を満たさせ、また判断能力を鈍らせて、作品を有利に進める、というのはありえること。正に、河森監督が今までにも使ってきた高等技術だ。
しかし、この作品ではかなり厳しい。というのも、実際にはオリジナル、つまり実在アイドル側のAKB48の世界だけでも元々相当な情報量があり、それについていくだけでも相当な労力が必要だろう。そして私が属している(w)側の、アニメや声優の世界にもそれなりに世界の広がりがある。中の人のアイドル声優達も、その立ち位置とかを思うと相当に面白いのだけれども、それはオリジナルAKBの事をより良く知らないと、十全に理解した事にはならないだろう。
その実在アイドルとアイドル声優のファンの間には、これは、無さそうで結構深い溝があったりするw。このAKB0048という作品がその溝を埋めるような作品になればよいとは思うのだけれども、両方の世界共に実に深くて広い世界の為、これを両方包含できるファンなどは、かなり限定されるのでは無いか、ついていける者がどれだけいるのか、非常に不安になってくるw。
また、この作品において、もう一つの要素が含まれているのも、結構ハード。つまり、アイドルと「戦争」だ。
アニメにおいて「戦争」は取り上げられるべきテーマとして特に珍しくも無いだろう。しかし、アイドル世界はもっと現実寄りであり、「戦争」とか「政治」とかは生々しいものとして、取り上げるのにも慎重なところがあるだろう。出来るだけ触れたくない部分。リア充が賢くリア充であるための「禁忌」に近いかもしれない。
そんなテーマの中に、先に挙げた現実と仮想が入り乱れた多重構造キャラがぶち込まれる。一体どこをどのように見てよいのか、分らなくなるのも道理というものだろう。
確かにAKB48は面白い存在だ。アイドルの人気投票に「選挙」という名前を付けたのも、アイドルという仮想に、それとは全くかけ離れた「選挙」という政治を思わせるワードをぶつける事で、激しい化学反応を起させるためだろう。
ならばアニメを介して「戦争」をぶつけるというのも面白いとは思うが、それでも、このあまりに複雑な構造の中で、その化学反応を受け止めきれる者が居るのかというと、やはり心配になってくる。
実際の所、この作品の出来はかなり良いといっていいだろう。これだけ無茶な設定を高クオリティーで構築し続けているのだから。しかし、それを受け止めるべきアニメオタク、アイドルオタク達がそれぞれ面白がり、歩み寄っていくかと言うと、結構難しいのではないかと思える。
・・・少なくとも、今回の総選挙結果を見ると、「NO NAME」はアニメの存在それほど結果に結びつかなかったようだよね。どうなのかな?

希望について(type-A)(初回限定盤)

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