高町なのはの真実 〜The MOVIE 2nd A'sに描かれないもの〜

魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's」には、決定的な「欠落」がある。それは、主人公「高町なのはの動機」だ。
なぜ、主人公高町なのはは、このような熾烈な戦いに身を投じるのか。確かに、最初は事件に巻き込まれたのかもしれない。それに、終盤には各自の立場を確認する場面もある。しかし、なのはとフェイトがこの事件の解決に係わろうとする場面はそれよりずっと前。その時の彼女は、この事件の解決になんら責任が無い立場だ。
やられたからやり返す?そんな動機では無い事は明らかだ。事件の首謀者に同情して?まだそこまでの情報は得ていない。その時点ではただ魔法使いである一般人の彼女達が、なぜ事件解決に協力する意志を示したのか、下手をすれば命の危険さえある任務に着こうとしたのか、それは全くといってよいほど、明らかにされていない。
後にフェイトについては、自身の心の内を吐露する場面があるので、ある程度の説明が付くが、なのはについては、一つとしてそれを明らかにするシーンが無い。
まるで動機が見えない。それなのになのはは正義の為に行動し続ける存在。これはある意味「不気味」だ。その存在の根拠が見えないのだから。ヴィータにして高町なのはのことを指して「悪魔め!」と呼んだが、それは彼女と対峙したものとして、そう感じてもおかしくないだろう。

  • 描かれない理由

ただ、この「高町なのはの動機」が描かれない事については、二つの側面から理由があるだろう。
一つは演出的意図。別に書き忘れている訳ではなく、意図的に描いていない。「主人公の動機」などという、物語上最も重要なものが描かれていないというのもおかしな話だが、実際には、演出的効果が有りえる。
高町なのはの動機は不明。そのこと自体が、高町なのはという存在を、有る意味特異な存在と思わせる意図があるかもしれない。さっきは「不気味」といったが、高町なのはを好意的に捉えていれば、それは「神秘性」とも取れる。観客は、その動機すら分らない彼女の活躍に、その次の行動も読めず、どきどきさせられる。
確かに、彼女の行動は観客の予想を超えていく。想像を絶する激しい戦いの中、普通であれば絶望的な無力感に捉われるであろう状況下でも、高町なのはは、絶対に挫けない。そして、その常識の上を行く行動にも、彼女の動機がなにかがわからなければ、観客は付いていくことが出来るだろう。
そして、もう一つの描かれない理由は、「リリカルなのは」という作品が作られてきた経緯の中にある。というのも、実際のところ、旧TVシリーズにおいてすら、高町なのはの動機について、明確には描かれてはいない。いや、実は丹念に描かれているのだけれども、それゆえ、シリーズを通して満遍なくエピソードがちりばめられているが為に、具体的に認識するのが困難になっている、というべきだろう。その「動機」が明確に提示される事が後にあるかと思いきや、結局、その後のTVA’sにおいても、StSにおいても提示されず、それは「ただそこにあるもの」、つまり「なのはなのだから、動機がなくても正義の存在」などという認識にすり替わって行った様に思う。
高町なのはは、その存在そのものが、有る意味「正義の化身」とでも言うべき存在になってしまった。その結果、前作劇場版においても、それはほとんど描かれる事はなく、今回の劇場版に至っては、「それ」を描く事、そのものをあえて避けているかのような構成にすら思える。

  • 正義の動機

さて、今更ながら、「高町なのはの正義の動機」について確認しておきたい。これについては、TVシリーズを通して見れば明らかだし、A’sが終った頃に既にこの日記にも書いたのだけれども、この劇場版を始めて見る人にとってはやはり不明瞭な事だろうし、この機会にもう一度書いておきたい。
高町なのはには、「正義への渇望」がある。それについては、パンフレットの人物紹介欄にも書かれている。ではなぜ彼女にはそれがあるのか。それは、家族との関係に対する寂しさから来ている。
高町家は、実はなのはを除いた全員が、正義の為の戦いをしている、いわば正義の味方家族だ。これについての裏事情は美少女ゲームとらいあんぐるハート」に詳しいが、その事情を知らなくても、第一TVシリーズを良く見れば推測出来るようになっている。(推測しか出来ないので、分かりづらいともいえる)
そんな家族との隔たりを超える力をなのはは強く願っていて、その力を偶然(有る意味必然)手に入れたなのはは、その時を境に、正に「正義の化身」とも言える存在になったのだといえる。
それは、幼い寂しい少女の小さな願いだった。
ただ、少女はそのままではいられない。なのはは、自分と全く正反対の存在ともいえるフェイトと出会い、その小さな願いから生まれた「仮初の正義」の意味を問い直すことになる。個を持たない存在フェイトと相対する中で、なのはの願いも具象化する。その結果、なのはは、フェイトと互いに助け合い、存在を認め合いながら、世界に正義を成す存在に変化する。そのような物語こそが、前シリーズ、劇場版の主旨だろう。
だから、A’s時点における、なのはとフェイトの動機は、実はかなり明確だ。彼女達は、互いに認め合いたいがために、その存在の意味を、つまり正義を証明する場を強く望んでいた。これはある意味、彼女達のエゴともいえるが、本来人は、そういったエゴがなければ人の心の形をなしていないと言えるだろう。
だからこそ、彼女達は一度負けても、再戦の機会が来るまで共に切磋琢磨し合い、己を高めていたのだと言える。これはきっと、なのはとフェイトが再会するまでの間においても同じ事で、TV版A’sにおいて描かれている、なのはが一人で訓練するシーンこそが、実はA’sにおいて、なのはという少女を表現する、最も重要なシーンだったのでは、と思っている。
・・・
おそらく、今後StSが劇場化される事があっても、劇場版リリカルなのはにおいては「高町なのはの動機」が描かれる事はないだろう。そんな劇場版の時間軸において、高町なのはは、その概念自体が「正義」、「正義の化身」ともいえる存在に昇華している。
それが、高町なのはというキャラクターにとって、良い事なのか悪い事なのか、結論付けることが出来ないでいる。

魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's Original Soundtrack

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