TV「氷菓」についていろいろ語る 〜「囚われの姫君」を巡る推理として〜

いや、実に素晴らしかった。この作品にはかなりのめり込んで見てしまった。
というのも、主人公が思考する様子、その発想の出てくる様子が、実に心地良かったから。推理物にもいろいろあって、探偵役の思考方法も様々で、それには好き嫌いが生じるものなのだけれども、この探偵役は、私にとって実に好ましい。常々「こうありたい」と願う思考回路を持っているからだろう。
そして、作画についても感心し続けだった。以前、「今、アニメに求められる「デジタル感」」という記事を「ぼくらのウォーゲーム!」に絡めて書いたことがあるが、実はその時頭の中にあった作品の一つが、この「氷菓」だった。
アニメにおいて「より高度な表現」とは何か。京アニ作画のように、既にキャラアニメの現実描写で極限まで至っているものでは、それを考えるのはほぼ不可能なはず。なのにプラスaとなっているのがデジタルを使った「非現実感」。その非現実を、現実描写の中に心象風景としてダブらせる事で、より高密度な作画を作り出している。それは人の心の中では実際に見えているものなのだから、一つの現実描写でもあるだろう。現実描写の高密度化に、ここまでこだわりを持って描く姿勢には、もう感心して溜息しか出ない。本当に素晴らしい作品だと思う。
ただ、心に引っかかっている事が一つ。それは作品の構成だ。
実際には、作品全体の構成バランスも実に的確で、文句の付け所は無い。しかし、個人的に一つ物足りない部分がある。それは、最終話「遠まわりする雛」というエピソード、このエピソードの意味が、大きすぎることに起因する。
この作品を見たとき、物語の導入が「涼宮ハルヒの憂鬱」に酷似していることを指摘した事があるが、主人公とヒロインの関係、またヒロインの置かれた物語上の立場もほぼ同じである事が、この最後のエピソードで明らかになったと思っている。(もちろん、作品の大枠が他作品に似る事は、良い作品であればあるほど良く起こりうることなので、似ている事については何の問題も無いのだが。)
涼宮ハルヒは、有る意味囚われの姫君だ。自分の思考が全て現実になってしまうが故に、無意識的に自分の思考を制限している。自身の思考そのものを制限しているからなのか、その想いを別の形の好奇心に変換し、SOS団で憂さ晴らしをしている。
そして、千反田えるも、人並みはずれた好奇心の持ち主だ。彼女の好奇心の向かう先は、主人公折木の推理。しかし、彼女が何故そこまで好奇心が旺盛なのか、その事についてあまり明確にはされていなかったといえるだろう・・・最終回エピソードまでは。
えるが人並み外れた名家のお嬢様である事は、作中でも最初から明らかにされていた。しかし、それが彼女自身の、この人の少ない町に一生身を捧げる覚悟にまで繋がっている事は、この最後のエピソードによって、初めて明らかにされる。つまり彼女も「囚われの姫君」なのだ。
だから、えるの好奇心の源も明確だ。その一つの場所から決して離れる事の出来ない覚悟と裏腹の、外へと向かう心理、そこから来るものだろう。
えるは、そのような覚悟を持って日々を生きている。その事を主人公折木は知る。その時、折木の心に浮かんだものは、そんな彼女を一生涯支えるという妄想だった。
しかし、それで良いのだろうか。それは一つの、地に足の着いた考え方であるかも知れない。しかし、考えてもみて欲しい。えるの好奇心は?彼女の心はどこに向かっているのか。それを考えると、折木がその場で出した一つの結論は、美しくはあるものの、決して正解とは言えないのでは無いだろうか。
これは、一つの推理だ。彼女の人生が折木の干渉によって、どうすればより満ち足りたものになるのか、という。推理のための最後の物証が提出されたのが、この最終話の最後のシーンとなってまい、その結果、正しい結論が出ていない可能性が残っている。それは、推理物としてどうしても構成に難有りと言うべきだろう。
原作の方は、かなりの所まで消化しているようだが、まだ映像化されていない部分もあるようだ。物語そのものも完結には至っていないだろう。出来得れば、この物語を今後も引き続き見て行きたい。そして、千反田えるという「囚われの姫君」を巡る物語の、その結論を出して欲しい。その様な時が来る事を心待ちにしている。

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