TV「カンピオーネ!」について〜神を描くということ〜

カンピオーネ!」を観た。最初、色々文句をつけてしまったけれども、結構最後まで楽しんで観る事が出来た。やはり、自分の興味深い題材を扱っている作品は、色々注文つけてしまいたくなるけれども、その分引っかかりも多いので、なんだかんだで楽しめる部分は多い。
この作品は「神」を題材にしている。神そのものを登場させ、それと人間の戦いを描いている。やはり神とは魅力的なものであり、こういった伝奇的作品では、ある意味「スター」として扱えるものだろう。そんなスターを惜しみなく登場させているのだから、それ相応に扱ってくれないと「観客として納得出来ない」ということだ。

  • 神を描く、三つの方法

神を物語で描くには、幾つかの方法がある。
一つは、神は、古代に超常の力を持っていた存在であり、その存在が不滅の為、長寿や転生などで現代まで存在し続けているというもの。つまり「現存論」。
もう一つは、神は、歴史的人物と同等であり、既に死した存在ではあるものの、人の信仰を集めた為、その信仰心によって具現化しているとするもの。つまり「信仰論」。
さらに、神は、過去の歴史書や宗教書など文献の中に概念として存在するのだから、その概念そのものであればよいとするもの。つまり「文献論」。
過去の神を描いている作品を分類するとすれば、大きく分けてこの3つに該当するだろう。もちろん、これらのクロスオーバー的な作品もある。
カンピオーネ!」はというと、典型的な文献論的神物語だろう。文献に残っている神の概念を取り出して題材とするこの方法は、実は最も神様を魅力的に扱う事ができる方法とも言える。なんといっても題材が豊富な上、それをそのまま使う事ができるのだから。過去の有名な作品としては、「孔雀王」などもこれにあたる。
しかし、その内容をよくよく考えてみると、文献に載っていることをそのまま物語化したようなものなので、ある意味「現実味」に欠ける。文献と文献の不整合などからくる齟齬もそのまま残ってしまっていたりして、物語の中に矛盾が生じる事なども結構ある。「孔雀王」などでは、面白ければ良いとばかりに、神格の扱い方がエピソード毎で違っている部分も存在したりする。
ついでに、他の方法について語るとすると、「現存論」は、超常の存在が古代に居たと設定すれば、「現実味」はある方だろう。ただ、偉大な力を持った者が現在まで存在し続けて、歴史上干渉は?とか、地域は限定される?とか、色々不整合が生じてしまうので、作品内容がチープになりやすく、有名な作品は少ない。ぱっと思い返すとすると、少女マンガ「アリーズ」などがこれに該当する。「スプリガン」の中にもこのような存在が居たかもしれない。
「信仰論」も、「現実味」が有ると言えるかもしれない。信仰心=精神の力が実存するとすれば、ありえる設定だから。しかし、信仰を物語で扱うという事は、現代の宗教を扱うのと同義なので、これもなかなか難しい。有名な作品としては「とある魔術の禁書目録」などがこれに当たるかもしれない。宗教は丁寧に改変されているし、神そのものも明確に出さないなどで「現実味」を高めているが。

TV「カンピオーネ!」の最終回で、主人公が「神とは何か」という疑問を提示しているが、それこそ視聴者のこちらが聞きたいことだった。この作品において「神とは何か」。
文献に示されている事柄に縛られているので、概念的な存在としてしか定義しようが無い。しかし、それを「物語の中で実存させる」には、もう一つ工夫が必要だろう。上に「孔雀王」が典型的な文献論的神物語と書いたが、それでも当初は現代人への転生(現存論)をベースにして、現実味を与えいてた。
神具によって招来することから、そこに過去の思念が宿っているとかも考えたが、そこに神そのものの膨大な力が宿っているというのも考え辛く、あくまで神具はきっかけにすぎない様だ。
カンピオーネ!」の神は如何にして生まれ、そしてその人間味溢れる思考を獲得し、そして現代までその存在を残しているのか。それは、TVアニメを見た限りでは、全くと言っていいほど明確ではなかったといえる。アテナちゃんの、あのロリババァ的魅力溢れる人格はどうやって生まれたのか。気になってしょうがないw。
一つの推論を立ててみた。
物語の最後の方で「幽世」の存在について、少しだけ明らかにしていた。ここには時間概念が無く、あらゆる知識が存在するとか。つまりアカシックレコードがある世界という訳だ。そのような世界では現実よりも概念が先行する。神という存在もありえるというものだろう。
ただ、そこで神が概念として生まれたとして、概念は概念でしかない。人間味の無い力だけの存在であるべきだろう。それなのになぜ人間味溢れる人格を持ち、それが故に「まつろわぬ神」などという存在になっているのか。
本来、概念のみであれば幽世から出てくる事も無く、その超常の力を振るう事もありえないだろう。しかし、この世界には「魔術」が存在する。もしかしたら、「まつろわぬ神」となった人格有る神は、魔術によって強制的に現実世界に引き出された、神の概念では無いだろうか。その時、贄となった者の人格をベースにして。恵那のような降臨術師の存在からも、元々概念である神が人の人格に乗り移る事はありえるかもしれない。
そして、そんな幽世の概念を力のベースにしているので、その力の源である概念を縛る事が、その神の力を削ぐ事になる。そう考えれば、以前私が問題にした「神の本質を明らかにすると力が削がれるのはおかしい」という事への反論になるかもしれない。
カンピオーネ!」はエンターティメントとしての要素に重きを置いている為か、設定に隙が多い。大まかに見てしまうと矛盾だらけとも思える。
しかし、隙が多いと思える物語は、今後の設定がいかようにも組めるという事。実はもっと綿密で奥深い設定が潜んでいるかも知れない。
設定に縛られて薀蓄ばかりの物語も面白くないが、やはり綿密で様々な思考の出来る奥深い設定のある物語も楽しいものだ。出来得れば「カンピオーネ!」もそういった作品になって欲しい。

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