ひだまりスケッチ×ハニカム 〜収穫の季節と女神の目覚め〜

今までにも増して入浴シーンが多いのだけれどもw、もうすでに「芸風」というか、エロい目で見ること自体無用な感じ。これだけ肌色率が高いのに穏やかな心持ちで居られる事自体、この作品の積み重ねの証拠といえなくもないかもw。
そうして、穏やかな気持ちで新シリーズを愉しんでいる今日この頃なのだけれども、見ていて、今シリーズとしての特色的なものを感じ始めている。
それは、ゆのの成長の結果が明確に描写されている事。
第1・2話こそ3年生が不在で後輩にしっかりした所を見せたいと、空回り気味だったものの、その後の回では、ゆの自身の行動にかならず「結果」が現れている。
例えば、3話では夏休みの「自分課題」として、画日記を完成させる。実は、これについても今までのゆのらしく、二日分ほど足りてないという「未完成」なところがあったりもする。しかし、今までのゆのと違うのは、その未完成な部分も含めて完成として「わーい」としてしまうところ。未完成な所も含めて自分を認めているという、有る意味、ゆのの自分のあり様に対する自信の表れと言えるだろう。
その後の回でも、プール大会の写真を認められたりとか、味噌汁の味を褒められたりとか、必ずといってよいほどゆのの成長の結果が現れる。
これは、よくよく考えてみると、今までの「ひだまりスケッチ」ではほとんどなかったことだ。
思い返してみると、「ひだまりスケッチ」という物語は、ゆのという「不完全な少女」が、その不完全さゆえに様々な失敗をする物語、という側面があった様に思う。しかし、ゆのはひだまり荘という「優しい場所」にかくまわれ、「やさしい仲間」に保護されている。しかし、そういった優しさによって、「不完全な少女」であっても何時か何者かになれる。具体的には、この「ひだまりスケッチ」の世界を創造した「うめ先生」という神(w)にもなれる。そういう成長の過程と約束された未来への希望を描いた物語と言えるだろう。
しかし、そんなゆのも成長し、今では後輩も居る立場となっている。その中で、本人はまだ明確に認識はしていないのかもしれないけれども、その成長の結果が現れ始めているのだろう。それは有る意味「ひだまりスケッチ」と言う物語世界における「女神の目覚め」と言えるかもしれない。
そして、それはEDの描写にも現れている。
湖の水面の上に横たわる羽衣を着たゆのは、明らかに人を超えた存在。まさに羽衣の天女だろう。もしくは、羽衣を奪われて人となる存在だが、そういった描写は無く、寝ているゆのの周りには同じく羽衣の天女となったひだまり荘の住人がゆのを守るかのように現れる。
そして、天女ゆのも目覚める。
彼女達は天女として、つまり自分の世界を持つ自分自身の神として、互いに手を取り合って、現実世界である地上に歩みを進めていく。そして、天女の揺り篭であった湖の水面だけが残される。その様子は、正にこのシリーズを表現しており、さらにはその先の未来をも暗示しているかのようだ。
まだまだ、ゆのには自覚が足りなく、この「優しい場所」としてのひだまり荘は彼女を受け止めていてくれるだろう。その穏やかな時間を愉しむ作品として、「ひだまりスケッチ」も続いてくれるに違いない。しかし、何時か来る旅立ちの時も、意識せずにはいられないEDといえる。
このシリーズも一話一話を大切に、ゆの達の成長を見守っていきたいものだ。

夢ぐも

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