オタク道とは、修羅の道と覚えたり

・・・先日のモモーイイベント感想が、思いの外メッセージ性の強い文になったので、折角ならばと抜き出してみる。

最近「アニメブームが終っている、という感覚」という記事を書いて、その後「アニメブームの歴史を語る」というのも書いたのだけれども、整理してみると、実質的には「オタクブームが終っている、という感覚」とした方が良かったかもしれないと思ったり。オタクの心根が薄れて始めている、とか。

アニメブームが終っている、という感覚
http://d.hatena.ne.jp/crow2/20121031

アニメブームの歴史を語る
http://d.hatena.ne.jp/crow2/20121101

最近のオタク文化の潮流が、結局ツイッターとかソーシャルネットワークに乗ってきていて、結果的に、誰もがオタク的なことをしているようにも思えるのだけれども、その濃さが滅法低下していて、濃いオタク活動が見え辛くなってきている様に思う。見え辛いだけならまだしも、そんな見え辛い中で、オタクという行為そのものが絶えかけているかもしれない。
ただ、オタク感覚が見え辛くなっている原因を、ツイッターにだけ押し付けるのは間違いだろう。

今の社会は、それそのものが、オタクが生きづらい様相を呈してきている。

少し真面目な話をしよう。

結局の所、オタクは「セカンドライフ」だ。リアルの次に有る生活。人間の活動の価値が精神にあるのならば、精神の充足だけ有ればよいという考えがオタクの根本原理だけれども、生命の価値というリアルを「ファーストライフ」とすると、その次に来てしまうという現実を拒否した考えでもある。

オタクブームの動向は、おそらく景気と連動している。

当初、オタクはバブルへの乗り遅れを受け止める要素があっただろう。漏れ聞こえるリア充の代替的機能があった。しかし、80年代当時のバブルの勢いは凄く、その勢いに飲み込まれる形で一時途絶える事となる。

しかし、そんなオタク的感覚が復活するのがバブルの崩壊後。その後、オタクブームは拡大の一途を辿るが、それは景気の減退が、その後ずっと続いているからに他ならない。以前は「乗り遅れ」だったのが、ここでは「振り落とし」となったわけだ。

この世のどこかに「現実の極楽」がある。そんな夢を追い求め、現実に変わる手段で「現実化する」事を厭わない者こそ、オタクと思う。オタクが現実と戦うとは、そういう事だ。

しかし、今の時代、この世のどこにも極楽が無い。そう思えるほど、経済の底が見えて来ているのかもしれない。

誰もが旨い汁啜れない時代ならば、誰もが汗水垂らして現実に向かわなければならない、という感覚。

現実の出現と戦い打ち消すのでは無く、現実に立ち向かい克服する事を考えなければならない。

そういう気持ちの時、オタク的活動が薄れるのは致し方の無い事だ。

現実に戻れば、そこは「ファーストライフ」として、生命の価値が存在する。オタクとして真面目に(w)生きようとすればするほど、現実は容赦なく襲ってくる。

・・・

オタク道とは、修羅の道と覚えたり。