アイドル声優の青田刈りを敬遠する

ここのところ、スタイルキューブのイベントに付き合っているために、駆け出しの声優さん?を見る機会が多い。
彼女達はアイドル声優の卵であり、それぞれ沢山輝いているところがあり、そんな存在を知ってしまったりすると、どうしても応援したくなる。
そして、もし彼女達の誰かが、後に大ブレイクを果たしたりすれば、「最初から知っていた」とか、「彼女達は俺が育てた」とか、鼻が高い思いも出来そうとか思ってしまったり。まあ、所謂、青田刈り的な感覚だ。
けれども、そういった一種の欲を自覚するにつけ、青田刈り的な行為は厳に慎まなくてはならないと、日頃から決めていたりする。
苦い記憶が有る。別に、私が何かをどうしたというわけではないのだが。
以前、友達の薦めで「落合祐里香」なる声優を応援し始めた事がある。それは、彼女が金朋のラジオのアシスタントをしていた頃なので、多分2002年くらいだっただろう。駆け出しの、ほぼ世間では知られていない声優を応援するという行為について、ミーハー気質な私は、最初それほど興味を持たなかったのだけれども、それでも、誰にも知られていない存在を少数で応援するという行為は、一種の独占欲みたいなものもあってか、思いの外楽しいものだと思えた。彼女を生で見るために、観客がほぼ業界人しかいない様な閑散としたイベントに出向いたりもした。
しかし、その応援は、本当に彼女に興味が有ってのことなのかというと、少し違う様に思えていた。結局、事前投資的なもので、彼女がもしブレイクすれば鼻が高い、とかの気持ちの方が大きかった。その違和感のようなものを、自分自身で少し嫌悪していたりもした。なので、結局は、少しずつ彼女への応援を薄くするようになっていた。
その後、落合祐里香アイドルマスターの雪歩でブレイクを果たす。その時は、やはり少し鼻が高く、そして彼女を濃く応援し続けなかったことに対して、少し後悔もした。彼女の事を「俺が育てた」と言えなくて残念とかw。
なので、落合祐里香を最初から応援していたら自分はどう感じていただろうというシュミレーションのようなものは、ある程度想像することが出来るわけだ。
そして、その後の彼女の動向がある。彼女は、どうもアイドルとしての適性に、どこか一つ欠けたところがある様に思う。自身の顕示欲を曝け出して、有る意味世間の注目を沢山浴びる事にはなったが、とてもアイドルとして優等生的存在とはいえなかっただろう。
彼女の自己顕示欲を助長させたのは何かと言うと、それは結局、ファンの声援だろう。それが彼女にとってあまりに大きかったが為に、彼女はアイドルとしてのバランスを崩したように思う。
ならば、と思う。彼女のことを、自分の自尊心のためだけに応援したこともある私は、彼女のバランスを崩した要素の一つではないかと。それは、彼女がまだ知られない時に、私がほんの少しでも彼女の自己顕示欲を充たす存在の一部になったことで、彼女の精神の何処かに影響しているのではないかという不安感だ。
もちろん、落合祐里香の顛末は結局彼女自身の性格によるものだろうし、私の存在など毛ほども関係無いと分かっては居るのだが、「その声優の“本当”を好きにならずに、自分の自尊心で声優を応援する」という行為に対する、嫌悪と空しさだけは、心に残ってしまった。
こういった「その声優の“本当”を好きにならずに、自分の自尊心で声優を応援する」事こそ、青田刈りという行為の本当の意味だろう。
駆け出しの声優を応援するのは良い。しかし、それをする時には、その声優の事を良く見て、観察して、彼女がちゃんとプロとして客を喜ばせるに足る能力をもった存在か、お金を払うだけのパフォーマンスが出来ているか、そして彼女自身を「好き」と感じられるかを、確認すべきだろう。
それは、素人に毛が生えた程度の存在に対しては、とても厳しい見方だろうけれども、そういった態度こそが、結局はそのタレントにとって最も良いことなのではと思える。
むやみやたらな青田刈り行為は厳に慎みたいものだ。
・・・と言いつつ、ゆいかおりは追いかけちゃったんだよなあ(^^;。

月刊 落合祐里香 [DVD]

月刊 落合祐里香 [DVD]