「たまこまーけっと」における物語の推進力

なんだか、かなり微妙な滑り出しと思える「たまこま」。この作品の面白さについて、簡略に検証してみたい。
物語の面白さとはなにか。それは、端的にいうと「受け手からの期待値」と表現し直せるかもしれない。それを見続けて「楽しい」という刺激を得ることが出来ると期待できるかどうか。
その点で言うと「たまこま」の第1話は、最近の作品としては落第点と言える構成だったと思える。
商店街と女の子の紹介がされる。商店街に喋る鳥が現れる。ただそれだけ。
物語が始まるきっかけとして、喋る鳥というのは確かに「有り」かもしれない。しかし、その鳥と女の子や商店街には、何のつながりも無い。というのも、鳥にはそこで何かをする意図があるわけではなく、女の子や商店街そのものにも日常しかない。つまりは、物語を始める動機がまるで無い。何かが起きることが想像できないし、期待もない。これは、物語の推進力が全くない状態と言える。
例えば、同じ京アニの日常系アニメの「けいおん!」にしても、その第一話にはしっかりと「推進力」が描かれている。それは、まったくダメダメの女子高生がひょんなことから軽音部に入ることにより、何か彼女に変化が生まれるかもしれないという「期待」が、そういった推進力だ。しかし、「たまこま」では、登場人物の誰もがその日常に安定していて、推進力を持ち合わせていない。
なので、このまま行けば、まったくとっかかりの無い物語に終始してしまうのでは無いかという危惧すらあったわけだが、それが2話、3話となるにつけ、微妙に変化し始めてきては居る。
第2話の肝は、端的に言えば「みどりのガチユリ」だろう。たまこと商店街でバレンタインに向けていろいろやっているけれども、実際にはそれは日常であり、物語として何一つ意味はない。その傍らで、みどりが同じ女の子である親友のたまこに対して、真剣な恋心を持っているという事だけが、重大な物語として描かれている。ここだけは、瞬間風速的に推進力が発生している。ただ、これに対して鳥はほぼ関係せず、居ても居なくても同じというのが微妙なところだが。
そして第3話は、当初からほんの少しだけ引っかかりのあった史織とたまこが友好を深めるという話。ここに来て、やっと物語の全体に推進力が存在している。二人の距離が縮まるかもしれないという期待感が全体的に存在する。そして、鳥もそのポジションとしてあるべき役割を果たしている。つまり、その図々しさによって意図せずたまこと史織をつなぐ役割をになっている。ある意味、「たまこまーけっと」という物語が持つ構造が、とてもわかりやすい形で表現されている話なのかもしれない。
とは言え、今後の事を考えると、未だ微妙な状況なのは変わりはない。
唯一ひっかかりのように思えた史織とのフラグは既に使ってしまった。たまこの周辺と商店街には、物語を予感させるものは、ほぼ無いに等しい。(予告を見る限りは、来週は妹あんこちゃんが活躍するようだが)
あとに残ったフラグと言えば、鳥の正体と映像上の人物達くらいだが、それがたまこと商店街に対して関係していく面白い展開とかは想像できず、期待感にはなっていない。つまり、結局、未だ物語の推進力は存在していない。
もしかしたら、監督の目指したものはそういった安易な期待感に頼らない「完全な日常系」なのかもしれない。しかし、それは物語の推進力の欠如であり、時間を惜しむ現代人にわかりやすい面白さにはつながっていない様に思う。
この物語がこのまま推移するとして、今の時代にどのように評価されるのか、気になるところではある。