「まおゆう」を見る、嬉しさ 〜復権する?「テーマ性」〜

アニメ「まおゆう魔王勇者」が好きだ。原作から端折りはあるものの、実に丁寧に作ってある。
そしてなにより、この物語に触れているのが、とても「嬉しい」。それは、他のどんなアニメでもなかなか得られない、特別な嬉しさだ。ただ、その自分の心に沸き立つ嬉しさに、いま一つ明確な理由が見出せないでいた。
ところが、その「嬉しさ」と同質のものを、偶然見たある作品から感じて、やっと気づいた。
その作品とは、アニマックスでやっていた「未来少年コナン」。そして、その嬉しさとは「世界の役に立つこと」。
この世界は大丈夫なのか。もし問題があるのならば、自分が何かをしなくてはならないのではないか。
過去のアニメでは、そういうメッセージを持つ作品が沢山あった。所謂「テーマ性」のある作品だ。アニメは、子供心の産物ともいえ、世界を意識した子供心が、世界に対して何か出来ると思わせる作品を望んでいたからこそ、作られていた。
けれども、いつしかそれは廃れていった。情報過多の時代、世界に対して何か出来るという考え方自体が、本当に子供じみた妄想とされた。自分が正義と信じていることが、他方では悪かもしれない。この世界に、共通の法などない。世界に対して、大それたことを考えて行動すること自体が、多くの他人の人生を巻き込む「悪」なのだ、と。
未来少年コナン」は宮崎駿の初期作品だが、かの大監督にして「ナウシカ」でこの問題の極限に辿り着き、そして「もののけ姫」では、そんな「テーマ性」が敗れる様を描いている。以降の監督の作品は、人の内面を描いた作品だけだ。
そして、アニメの描く世界は、とても小さくなってしまった。テーマ性を持ち出すアニメは、独り善がりで、古臭くて、センスが無い、と切り捨てられた。
子供心の産物であるアニメは、その後も世界を動かす力を描いてる作品もあるというのに、そういったテーマ性だけは、禁忌のように抜け落ちているものばかりとなった。かの「エヴァンゲリオン」も、結局は主人公の心の物語「でしかない」、という言い方が出来るだろう。
今、世に乱造されている、ラノベ系、もえよん系に至っては、本当に個人的な、「どう生きたら一番得か?」みたいな作品だけになっているように思う。まあ、私も決してそれらは嫌いではないし、積極的に好きではあるのだけれどもw。
しかし、それらテーマ性の無い作品ばかりを見続けていると、時折、無性に虚しくなったりする。楽しいだけの作品なんて、有っても無くても同じだ、とか。
そして、「まおゆう」を見返す。
ここに登場する人達は、世界を変えよう、良くしようと懸命に頑張る人たちだけだ。この世にとって何が一番良いかを、常に考えて行動している。そういう登場人物の「心」、当たり前の、世界に対して向き合う健全な「心」を見ていると、それだけで、嬉しくなる。
テーマ性という点でいうと、この「まおゆう」では、時代を遡って疑似的な歴史を紐解く事で、この人類が異文化とどう接して、行き詰った世界から、新しい世界をどう切り開いていくべきかというテーマを打ち出している。
いつの世にも、絶対になにがしかの問題はある。問題のある世界である以上、そこには考えるべき「テーマ」が存在する。
今の時代、ある意味、非常に行き詰まりを感じさせる時代だとおもうのだけれども、どうだろう。考えるべき「テーマ」が、そこかしこにある気がする。
そんなとき、そういった「テーマ」を取り上げて、子供心でエンターティメントに仕立て上げる事こそ、アニメが持っていた力だった様に思う。
今、そういったテーマ性のある作品こそが、アニメには望まれている気がする。