「たまこまーけっと」が本当に描きたいこと 〜「けいおん」のお菓子と「たまこま」のおもち〜

最近、「たまこまーけっと」が面白い。具体的には、チョイちゃんが登場してから、ぐんと面白くなった。
当初は、なんだかぱっとしないと思えた。作画は京アニとして完璧だし、演出だって良いのに、日常的な設定をありきたりに使っているだけで、人を惹きつける魅力に欠けると感じた。いや、キャラも可愛いし、人情味あふれる話ばかりだし、良い部分は多いのだけれども、その良さが、どこかちぐはぐな感じがして、もう一つ強い「惹き」みたいなものが欲しいと思い続けていた。
それが最近、物語に「芯」の様なものを感じるようになってきて、断然面白くなってきた。
最近、この作品において強く「良い」と思えるのが「もちもち感」。それは、実際におもちを食べた時に感じる、充実感を伴った幸福な気持ちだ。物語の中のおもちを食べる描写にそれを感じるだけではなく、物語全体から、そういった心地良い気持ちを感じるようになっている。
「たまこま」を見始めた当初、見ている側としても、やはり気にしていたのは前作「けいおん」との差。「けいおん」に比べてどれくらい面白いだろうかと、思わずにはいられなかった。
実際、主人公は女の子だし、女友達も揃って、学園で四人ワイキャイやりそうな展開だった。なので、まずその視点から見てしまったのだけれども、いま一つぱっとしない展開としか思えなかった。ならば、題名にも影響している「たまこま」の要素として、「商店街」こそが面白さの核なのかもとも思ったけれども、それも大きな魅力に繋がるとは思えなかった。
ところが、チョイの登場から少しづつ変わり始めた。いや、判り始めた。
チョイが北白川家に居候することによって、改めて物語の中心が北白川家内であるように感じた。また、デラの目的であった「お嫁さん候補探し」も、チョイの目的でもあることで、より具体的になってきた。
そこで、物語の核としてクローズアップされ始めたように感じるのが「結婚」、そして「家族」。この「たまこまーけっと」は、もしかしたら「家族」こそを一番のテーマにした作品かもしれない。
そう思い付いたとき、全てがピタリとはまり、作品全体の魅力がより強くかんじられるようになった。
なぜ「たまこま」ではおもちなのか。それは、「けいおん」で常に出てきたお菓子の砂糖のような、すぐに感じられぱっと消えてしまう甘さではなく、口に含んでじっくり咀嚼することでジワリと感じられる甘さ。後に蓄えられるような充足感も残る。
少女時代の美しくも刹那的な関係性ではなく、少し情けなくてもずっと続いていく家族の関係性とどこか似る。それが「たまこま」で描かれているおもちの意味なのかもしれない。
また、京アニのアニメは、元々人物描写において、とても「もちもち」とした柔らかい表現を得意としているように思う。それは、「けいおん」の時には綿菓子のような「ふわふわさ」に感じられもしたが、今となっては、より実体感のある「もちもち感」が近いように思う。
つまり、この「もちもち感」こそが京アニの表見として最も魅力的な部分であり、それは「たまこま」の題材である、おもち=家族ともつながってくる。逆に考えれば、京アニは自身の得意分野をこそ題材と選んで、この「たまこまーけっと」を作っているのかもしれない。
ともあれ、こうしておもちがお腹の中に納まるかのように納得した後に、この作品を見ると、全ての部分が食べ応えのあるおもちのように、魅力的に感じてくる。
例えば10話の、「けいおん」の魅力にも通じる女友達がメインのお話も、この作品の魅力の一つとして収まってくる。それは、より「結婚」に近い存在であるチョイちゃんが「裁縫」で手伝う事により、彼女たちの行為が、後の人生にどう関わるのかという提示になっている。それは、「結婚」から最も遠い存在である「みどりの苦境」という対比にも表れているだろう。
そして、今更気づいた。「たまこまーけっと」の魅力は、本当に最初から、OPの冒頭から示されているということに。
たまこが空から降ってくるのを、父である豆大が抱きかかえて下す。まず、「娘を抱く父の姿」を描いているアニメだ。それは、「家族を持つ幸福」を描くという、明確な意思があるからこそ、表されているシーンなのかもしれない。
次はどんなおもちが食べられるかな? 終盤に向けての展開が、とても楽しみだ。

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