「翠星のガルガンティア」に見る、アニメ界における行き過ぎた技術からの離脱と「本物」の再生

GWに入り、けっこう溜めていたアニメを見ることが出来たので、少し、今期アニメ全体の雑感を語りたくなった。
それにしても、今期のアニメは出来が良い。非常にバランスの取れた作品ばかり。中でも気に入っているのは、「レッドデータガール」と「翠星のガルガンティア」。この二つの作品には、なんだか「本物」という雰囲気がある。
「レッドデータガール」は、日本の神話に係わる物語の第一人者というべき荻原規子作品のアニメ化。現代の青春ストーリーにもなっているものを、青春アニメのトップランナーPAワークスが作っている。ある意味ごく淡々と描いているのだけれども、これが堪らなく良い。丁寧な青春ストーリーの中から、日本人の神に対する考え方みたいなものが、じわじわと伝わってくる感じ。とても王道で、「本物の」物語という感覚がある。
そして、「翠星のガルガンティア」。とても丁寧な遠未来SFから始まったかと思えば、実際の物語は超科学が廃れた地球における、人間同士の関わり合いを描く海洋冒険ものになりつつある。この物語も、人がなぜ生きるのかを問う、とても王道的な「本物の」物語と言えるだろう。
これ以外でも、かなり「バランスの良い」アニメが結構沢山ある。「進撃の巨人」とか、「惡の華」とか、「宇宙戦艦ヤマト」とか。この「バランスが良い」というのは、以前記事にした「今、アニメ作品が戦うべき相手は「全能感」 」(2011/9/30)みたいなことを意識した、世間との折り合いの良さという意味。それを見ていて、世間的に恥ずかしくない(かもしれない)作品が多い気がする。
考えてみると、最近のアニメは一般からも注目されていて、「オタクのためだけの作品」では物足りないと思われていたような気がする。
オタクの時代、一部のオタクのよりコアな部分を刺激するような作品が多く作られた。よりディープに、よりニッチにコア層を刺激すれば、そこを起点に「オタク的な広がり」が期待できたからだ。
しかし、その意識が大きく変わってきた。転機は「タイバニのヒット」と「ステマ疑惑」かもしれない。「タイバニ」というオタク的でありながら、一般にも受けいれられそうなライトな内容が、思いもかけない爆発的なヒットとなった。そんな中「ステマ疑惑」によってコア層の意見に深い不信が生まれ、一時ネットの思考が混乱した。これらが「一般的な」オタクの存在を明確にし、コアオタクの不要論すら生じさせたように思う。
サイレントマジョリティはある日突然生まれるものではない。いつの間にかそこに居て、あるきっかけで気が付いたら、無視できない大勢力となっている。そうなったら、もうその存在の為にこそ作品を作らなくてはならないだろう。
そんな世間からの要望、私の様にネットで駄文を書き散らすガチオタなどの陰に隠れた、より一般的な思考を持つサイレントマジョリティの要望に応える作品が出つつある様な気がする。
なんだか、「翠星のガルガンティア」を見ていると、こんな時代の転換期と奇妙なシンクロを感じてしまい、妙に面白い。
異質な存在と存亡をかけた戦いをし続け、ただ戦う事に特化した戦士。しかし、母なる地球の人類は、超科学を捨てて当たり前の「生」に戻っている。
ディープなオタクの為により技術を深めてきたアニメだが、ある日突然その技術そのものの目的を見失っていることに気づき、より「本物の」万人の為に作品を作るという当たり前の目的を思い出しつつあるのかもしれない。
そんな中、いつの時代も一般とオタクの間で漂っているロボット物であるところの「ヴヴヴ」と「ザンネン」が、やはり両者の間で賛否両論、押し引きしているのも面白い。
そして、いつも通りのアニオタのお約束にまみれた「デートアライブ」などの「オタク大作」は、今後どのような評価を受けるのだろうか。こういう作品も好きなのだけれども。
オタクの時代は過ぎた。けれども、その力は一般の中に深く根付き、「本物」として芽吹いていくのかもしれない。
とは言え、実際に何が売れるのか、その結果が行く末を占うのだろうから、今の時点ではなんとも言えないのだが。
面白い時代になったものだ。