アイドルアニメにおける、大きなお友達の管理

少女向けアニメにおける「大きなお友達」の扱いは、結構微妙な問題だ。
本来、少女向けアニメは、そのとおり「少女のため」にある。しかし実際には、そのターゲットは少女だけでは無いこともあったりする。プリキュアの企画書にも「ターゲットには成人男性も含まれる」と、しっかり書かれているくらいだし。
少女向けアニメの歴史において「大きなお友達」=「オタク力」は結構重要と認識されていて、例えば「ミンキーモモ」は、オタクたちが騒いだからより大きなブームとなって、その後の変身魔法少女シリーズへの足掛かりとなっていった。
しかし、今の御時世、それは少し違う認識になってきていると思う。
今は濃いオタクが騒がなくても、世の人々にオタク的な趣味が結構馴染んできている。つまり、趣味のリーダーとしてオタクが騒がなくても、アニメやゲームで楽しむ方法を誰もが熟知している。
今は、日本総オタク文化世代であり、それは逆に言うと、オタク意識の喪失した時代でもある。
そして、濃いオタクは結局イメージが悪い。「大きなお友達」が少女ものに群がっている姿など、醜悪の極みwと言ってもよいだろう。そこに少女向けアニメを作っている側として、この「大きなお友達」をどうにかしたい、「管理」「排除」したいと思う意識が生まれ始めているように思ったりする。
例えば、今やっている少女向けアイドルアニメについてはどうだろうか。
本来、アイドルは異性の為にあるものだ。疑似恋愛の対象として、作られた存在とも言える。しかし、その中で大スターとなる者は、決して異性の為だけの存在ではない。同性をも引き付ける力を持ったものこそが、スターとして認識される。アイドル文化が熟成し、広まった昨今、本来の「アイドルは疑似恋愛の対象」という認識すら崩れようとしているように思う。つまり、少女が「義理恋愛の対象になる事」を意識せず、ただ単に「アイドルに憧れる」ということが当たり前になりつつある。女の子同士でアイドルに憧れるという文化も生まれているように思う。
そうなると、そういった少女達に対してアイドルアニメを作っている側として、「大きなお友達」はどのように映るだろうか。「大きなお友達」の「オタク力」など、今の御時世必要ない。その上、寄ってきた彼らを少女たちが見たとしたら、自分たちの憧れの一部が「疑似恋愛の対象」になると言う事を意識させてしまう。それは、少女にとって不快な事にはならないか。
以前、「プリティーリズム」では「大きなお友達」を対象としたCD販売をしていたし、完全に大きなお友達だけのイベントすらやっていた。しかし、今、その戦略は難しい側面に来ていると思う。実は最近でも「プリティーリズム」で声優ステージをやってはいたが、その時、そこに集まった声優オタク=「大きなお友達」の姿は、それを取り巻く親子連れに、決して好印象を与えなかっただろう。
そして、もう一つのアイドルアニメ「アイカツ!」。こちらでは、「大きなお友達」を管理する意識がより高いだろう。所謂、アイドル声優的な声優を極力避けたキャスティング、あくまでカードダスをメインにしたイベントを開催するなど、「大きなお友達」の入り込む余地を出来るだけ排除している気がする。(後日加筆:昨年一回、アニメイトでCD販促の「大きなお友達」向けイベントをやっていた。失念していた。)
しかし、それでも良いのだろう。
今は、アイドルに憧れる少女が当たり前の、アイドル熟成時代。そして、オタク文化が当たり前の、オタク意識喪失時代なのだから。

アイカツ! 1 [DVD]

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