学園アニメにスクールカーストを描かないと、リアリティが無いと思われる時代

スクールカーストは昔も今も存在しているだろう。順位付けは人間社会に常に存在する。
アニメにおいても同様で、それを描く事はそれほど珍しい事ではない。ジャイアンのび太は正にその典型みたいなものだろう。
しかし、ここ数年のアニメ、それもオタクアニメと呼ばれるものにおいては、それを描く事を、出来るだけ避けていたように思う。アニメは夢を売るものだし、スクールカーストの存在は、現実を突きつける要素として相容れないものだから。甘々な作品を作るため、設定の段階からスクールカーストを意識しないで済む様な「仕掛け」を施している作品が多かった。それが、基本的にスクールカースト最下層にいるはずのオタクに向けた作品作りの鉄則だったとも言える。
しかし、時代は変わった。今は、オタクにのみ向けた作品作りではダメな時代だ。そして、学園アニメにリアリティを持たせるため、どうしてもスクールカーストを明確に描かなくてはならない局面が出てきているように思う。
過去の作品では、「らき☆すた」「ひだまりスケッチ」「けいおん!」のようにゆるゆるな学園もの、「D.C.」や「キミキス」のような、鉄板ハーレム状態など、まず安心感を与える作品こそがオタクアニメの鉄則だった。
しかし、今ではその安心感に綻びが生じている。「不良」というスクールカーストから外れた地位から友達作りに励み、結果美味しい思いをする「はがない」。元中二病の高校生デビューに危機が生じる「中二病でも」、スクールカーストの最下層で足掻く「俺ガイル」などなど。
今期アニメに限ってみても、「変態紳士」は、小豆ちゃんの存在がスクールカーストを強く意識させるものだし、「RDG」も、基本的には不思議力を競うスクールカーストものと言える。鉄板ハーレム系と思える「フォトカノ」ですら、実はカメラを元にスクールカーストを登る作品と位置付けることが出来る。「惡の華」などは、その極北とも言えるだろう。
学園アニメを描くとき、スクールカーストは外せない。それは、スクールカーストを諦めたオタクだけではなく、スクールカーストを意識し、挑み、怯えている全ての学生視聴者をターゲットにするには、どうしても必要な判断なのだろう。また、カースト意識は、会社など、どの世代においても存在するので、よりリアリティがあるものとして受け止められ易いかもしれない。(また、今は格差社会であり、実際に現場のスクールカースト意識がより強くなっていると言う事もあるかもしれないが、実態は不明。)
最近、私は「オタク期の終焉」を意識してアニメを見る機会が多いのだけれども、こういったところにも、その「雰囲気」を感じているのだろう。

しかし、思うのだ。結局アニメはオタクによって作り上げられたブームだ。よりリアリティがあって、世間から広く受け入れられる作品が生まれるは頼もしい一方、その本質的な部分での魅力、つまり「甘々な設定」とかが失われるのはとても残念だし、切ない。
気が付いたらスクールカーストを意識するギスギスした作品ばかりしかない、という事にだけはならないで欲しいものだ。
PS
今期、最もゆるゆる系と思っていたのは「ゆゆ式」なのだけれども、これにも「安心感」を感じない雰囲気がある。なぜ彼女達は「何も無いという何か」をしないといけないのだろうとか思う。逆にギスギスしていて、見てて辛い。
平和な学園生活は、もう存在しない、夢の世界なのかもしれない。
PS2
これは、最近のアイドルアニメが実際の少女に人気があるということにも、少し関係があるかもしれない。自身を高めて人気者になるという意識の高さからくるものもあるだろうから。かと言って、アイドル=競い合うものでなくてはならない、というギスギスした認識には疑問を感じざるを得ない。