アニメ俺妹に見る、終わる世界

いやあ、辛いね。これほど幸福で、辛いアニメは無い。
原作もチラチラと追い掛けてはいたけれども、それをそのままアニメ化しているのだけれども、やはりアニメから入った者としてはアニメの空気感が一番入ってくるし、なにより、アニメはコンテンツの最終形態として基本的に後が無いしで・・・、話が進んでいくのが、とにかく辛い。
これは、「終わる世界」だ。青春が終わっていく様を描く物語として、終わりのみが支配する世界になっている。
俺の妹がこんなに可愛いわけがない」という作品は、一時「覇権」と呼ばれるほどヒットした。それは、オタク文化を直接描く物語として、このオタク文化の中心的な位置に存在し得る作品だったからとも言える。
また、ヒットのもう一つの要因として「リア充妹が実はオタク」という構造から、オタク文化=一般的であるべきと、強く訴える作品であった事も大きいだろう。世間では、オタク趣味を持ちながら、オタバレに怯えるライトオタク=一般層が結構沢山いて、そこに共感を呼んだとも捉えることが出来る。
オタク対一般層の文化衝突を如実に描いた作品であるが、それはある意味、オタクという存在が、一般層に取り込まれる過程を描いているとも言える。なぜなら、オタクとは、所詮「特異な存在」だからこそその言葉に意義があり、衝突の結果一般から理解されるとなれば、それは一般層への吸収でしかないのだから。
「俺妹」という作品は、オタク作品ではないと思っている。これはいわば「オタクを解体する作品」という意味合いが強いだろう。
そして、理解された「特異な存在」は、あるべき世界に帰っていく。
一期シリーズでは、異文化の衝突をメインに描き、そこではオタク文化そのものがとても魅力的に描かれていた。
しかし二期では、主に個々のキャラクターのその後の去就がメインで描かれていると言ってよい。
あの時、オタク文化に関わった人たちは、その後どうなったのか。オタク文化に青春を賭けた人たちが、どのような幸福な未来を掴んでいくのか。
それは、とても幸福な過程だ。真剣にオタク文化に関わったからこそ、その結果として、登場人物たちは甘い果実を手に入れていく。
しかし、それは終わっていく過程でもある。
キャラ達の幸福な人生は、その世界のオタク文化とともに続いていくだろう。しかし、「俺妹という物語」は終わりに進んでいく。物語として解体され、「一般の青春ストーリー」として、落ち着く場所に向かっていく。これは、「俺妹」の中で輝いていた「オタク世界」が解体され、終わっていくのと同義だ。
桐乃の愛らしさ、黒猫のいじらしさ、麻奈実の切なさに身もだえし、幸福感に包まれつつも、アニメ俺妹の中に「世界の終わり」を感じてしまい、強い寂寥感を感じざるを得ない。