はたらく魔王さま! 〜「理由の無い贖罪」の快楽〜

原作未読。なれど今期個人的にスマッシュヒットな作品だった。
邪悪な魔王が現代日本に飛ばされて魔力を無くし、しがないバイト暮らしをする。この構造から最初に浮かぶのは、元々権力を持っていた者が情けない姿を晒す、言わば他人の不幸を見て笑うコメディのように思いがち。
しかし実際には魔王は結構格好くて見る者は魔王に感情移入する。魔王がしがないバイト暮らしそのものに誇りをもっている様子すら丹念に描かれている。そうなると、なぜこのバイト青年が魔王である必要があるのかと思うくらいなのだけれども、この構造の中にいる魔王に感情移入することが、なぜかとても魅力的に感じられる。
この作品には一つの謎がある。それはなぜ魔王は異世界で魔王だったのかということ。彼は暴虐の限りを尽くした極悪人だった。それがこの現代日本では単なる善人になっている。それは彼が魔力を取り戻しても変わらないので「魔力によって悪を抑えられなくる」とかの理由すらつけることが出来ない。
ただ、この魔王が過去における異世界での悪事を責められることこそが、彼に感情移入するときの快楽の理由の一つになっているように思う。
彼は善なる行為に理由を付けない。ただ現代日本に暮らすものの職責として当然の善を行うという立場を崩さない。彼の行為が贖罪であるかどうかは全く不明。それは、彼が何故悪だったのかという謎が明かされない限り、判明しないのかもしれない。
理由もなく他人から責められ、しがない暮らしを細々と続ける。小さな暮らしをしているのに、決して許されない罪を背負い続けている。
傍から見ると、彼の行為は「理由の無い贖罪」だ。彼は悪い事をしたのかどうかすら分からず、献身的に善を行うのだから。
思うのだが、現代の若い世代は生きながらに罪を感じる機会が大きいのではないだろうか。なぜなら、膨大な国の借金、就職難、他国からの圧力、正に理不尽なほどの世代間格差。人は負債を突きつけられると、まず自分の責任について考えてしまうものだ。これほどまで若者に対して重い責任を押しつける歪んだ社会の中では、無意識のうちに自身に罪があるように感じてしまう。
そんな心の中の罪が、この作品の「理由の無い贖罪」と呼応するように思う。そこに快楽が生まれている。
そして、それは典型的なヒーロー像だろう。心の内側からくる理由の無い衝動によって正義を行うヒーロー。
かなり特殊な構造の作品と思えるが、その中には現代社会の構造と実に上手く適合した、一つのヒーロー像があるように思う。
実に面白い作品だった。