アイドルアニメが成功する理由 アイドルにおけるドラマの発見

http://mantan-web.jp/2014/03/21/20140320dog00m200082000c.html
今更だけれども、一読してアイドルアニメマニアとしてひとこと言いたくなる文だなあw。素人がいろいろ書いちゃうよ。
書かれていることの一つ一つの事柄は概ね間違いはないと思う。けれども、なんというか感覚が違う。
まずアイドルアニメの金字塔的な「クリィミーマミ」を軽くディスりながら「えり子」に繋げるあたりとか。「クリィミーマミ」が魔法少女ものの一作品であり、幾つかの制限があったことは否定出来ないけれども、この文に書かれていることの裏を返せば、「着たきりで無い時もあった」「いくつかの持ち歌を持っていた」となり、それは当時としては画期的な事で後のアイドルアニメの可能性を広げているはず。そのことをもっと評価すべき。
「えり子」についても「アニメ独自」とかになっているけど、その当時にして一昔前の大映ドラマをモチーフにしている(パロディと言っても良い)ことは、ウィキにすら書かれていること。どこか感覚がおかしい。
で、アイドルアニメのヒットの理由を語っているのだけれど、その理由が今ひとつ鮮明じゃない。「楽曲」「画質」「プロモーション」全てが揃っているとかだけれども、「楽曲」は既にえり子の時の成功例があるし、「画質」だってCGに頼らずとも素晴らしい作画のアニメは今までに幾多もある。「プロモーション」はいつの時代もどんなアニメも某かしているものだし、メディアミックスだって今の時代珍しくもない。
アイドルアニメは、なぜ今、なぜここまで沢山、なぜ成功するのか。その理由はもっと明快にある。それは、アイドルという存在に「ドラマがあること」を皆が認識したから。
以前のアイドルは、ただ人から愛でられる存在という認識だった。そこではヒロインは最初からアイドルとして成功出来るか出来ないかの二者択一しかなく、その過程が非常に狭いものだった。
実際のところ「クリィミーマミ」ではまずアイドルとして成功してしまい、その後は「ファンタジー&少女の成長」というドラマで補っていた。「えり子」も、まずは「小公女ばりの不幸」というドラマがメインだったと言える。アイドルとは「ドラマのないもの」とされていて、アイドルもの=テーマ単体では作品として成立しにくいものという認識だったのだろうと思われる。
しかし、今では、アイドルにはその存在そのものにドラマがあるという認識を誰もが持っている。
それはやはりハロプロやAKBの影響が大きいだろう。これらは、普通の少女がアイドルを目指す過程をかなり開放的に喧伝している。特にAKBでは、そのグループ内の葛藤までも克明に分かるように、いや、それこそをアイドルのドラマとしてファンの気を引き付ける道具として使っている。
そして、実際にはアニメの方でも、アイドルにこういったドラマがあることをかなり以前から描いている作品がある。それは「カレイドスター」。
ショウビズ界を描いた作品でありアイドルものとは少しずれるが、舞台に立って人に感動を与えるためには、特訓したり、ライバルと競ったり協力したり、必殺技を生み出したりwする必要があることを描いている。所謂「スポ根モチーフ」がステージものにも適応できることが示されていたと言える。その後、このモチーフは「きらレボ」や「プリリズ」などのアイドルアニメに、ごく微量ながらも引き継がれていくことになる。
こういった背景により、以前とは違いアイドルアニメは受け手にも作り手にも「ドラマ」を作ることが期待できるジャンルとなっていた。だからこそ、いくつもの企画が通り、その多くが受け手にも受け止められているのだと思う。
アイドルアニメの成功は、まずその理由の核心として「アイドルにおけるドラマの発見」があった。それをより望ましい形で作品化出来る要素として、3DCGによるダンス描写技術の確立、声優アイドル・イベントブーム、メディアミックスの確立などの外的環境が有るのではないかと思う。