AKB襲撃事件雑感 〜アニメ至上主義者の価値観から見たオタク業界変動の気配〜

いけないね。今回のAKB襲撃事件はかなりイケナイ。アニメ業界界隈にも影響が出るかもしれないなあ。
なんだか最近、色々と象徴的な事が起きていて、アニオタとして心地よいこの界隈に何か大きな変化が生じそうな気がしてしょうがない。
なんでAKB襲撃事件がアニオタ界隈に関係するかということなんだけれども、まずそれを説明し始めると結構長くなる。
最初は手塚治虫から。アニオタにとって至上の価値はもちろんアニメなんだけれども、その理由は手塚治虫も語っている。自身の想像の産物を生み出す方法として、まずはマンガで表現したけれども、結局その最終目標はアニメだった。アニメこそ、人が想像から生み出す最も魅力的なものであるというのが手塚治虫の創造原初であり、その心根をアニオタも持っている。
だから、現在ある全てのオタク文化の中でやはりアニメは至上のものとして認識しているわけだけれども、その流れはここ最近結構複雑になっているとも思ってる。
まずは、物語性、没入度などからアニメよりもゲームがより価値が高いという認識を持つ者もいるかもしれない。一つの作品の売上にしてもそちらの方が大きいし。しかし、ゲームはその名の通り遊戯であり、一つのツールとしての側面を持っている。それを遊ぶ者との関係によって始めて作品が完成するということから、常に作品としての不完全性を持っているコンテンツと言える。結局、アニメの方が作品を完成させるという意味で上に立ち、アニメがゲームになることは幅を広げるにすぎないけれども、ゲームがアニメ化することは到達点になる。どんなにゲーム市場が拡大しても、オタク文化の中では一種の周辺であり続けるように思う。
一時期よりゲーム産業はアニメ産業を圧倒するかのように発達したけれども、それはオタク産業そのものを押し上げる力と成り、アニメ至上原理の働きによりアニメ産業も押し上げてくれたと思っている。ゲーム産業の浸透が一般社会にも広がり、アニメ文化=オタク文化が随分受け入れられるようになった。
で、やっとアイドルとの関係なんだけれども、アニメ文化が広く世間一般から認識され、もうオタクという負のイメージから発した言葉が似合わなくなったことにより、サブカルの選択肢としてアイドルとアニメ文化を共に楽しむ事が当たり前になったということ。
ドルオタってこれまた特殊で、アニオタとは全く別の道を歩んできている。アニオタが自身の内面を表現する文化に心惹かれるものだとすれば、ドルオタは自身には無い物を追い求める文化と言えばよいだろうか。共に快楽を求める者達として少し言葉を悪くして言えば、アニオタは内向的であり自己愛的なのに対して、ドルオタは外向的で自己満足的な傾向にある。ある意味、相容れない存在の筈なんだけれども、その文化は共に快楽を求めるサブカルとして非常に近しい存在でもある。
そこに目を付けたのが、より身近なアイドルという位置づけで、オタク文化の聖地であるアキバを拠点として登場したAKB。秋元康は当初からアニメゲーム文化の勢いに目を付けていて、それがより一般化してサブカルとしての敷居が薄れているところを狙ってAKBを立ち上げている。もしハロプロだけだったら、今のようなアイドルブームにはならなかっただろう。つまりは、今のアイドルブームは、実はアニメゲーム文化のブームの先にあるものという捉え方も出来る。
もしかしたら、秋元康はアニメゲームブームは空想を現実化する事を目的にしているのだから、少なくともその中の萌え文化についてはその先に現実のアイドルがいて、全てを飲み込むとか思っているかも知れない。けれどもアニオタとしては全く逆であり、アニメ文化における空想の現実化は、そこにある感情表現や記号的認識も含まれる。もう萌えキャラは一つの文化であり、それをコスプレとして再現実化してアニメ再現度を評価したりするもの。手塚治虫がマンガという記号の中に色気を与えた時から、いや、偶像の中に神を見出す想像力を持つ人はその原初から、そういった存在だということ。アニメという自身の想像そのものを現実にする行為に快楽を見出してしまう存在だ。もちろん現実が全てだと言う価値観もあるだろう。しかし、アイドルにしても実際には現実に手が届かないと言う事ではアニメと同じ。共に仮想現実と言う点では同じだ。これは内向的な人間か外向的な人間かによって、互いに相容れないながらも永遠に並び立つものだと思う。
ともあれ、アニオタとドルオタは相容れないという状況は保たれつつも、共に一般化したことと境界線の薄れから、ブームを形作る多数層として両者を楽しむ者が存在するようなる。AKBからの流れでオタク的文化、サブカルに興味を持ち、アニメや声優を意識するような者も居るはず。つまりアニメ至上主義者であるアニオタとしては、「アニメ文化の周辺にある」アイドルブームはアニメブーム、オタク的ブームにも恩恵を与えてくれていると思っていたりする。
元々は一部の存在であったオタクの為の文化が一般化することは、結果としてその文化の本来の形を維持しつつ、こういう新たな力を取り込む事になっているという訳だ。あくまで現状では、だけど。
説明が長くなったが話を戻すとすると、AKB襲撃事件はアニメブームに影響を与えるように思っている。それはアイドルブームがアニメブーム、オタク的ブームの周辺にあるものとして、その一つの大きな流れに対するアンチテーゼとして捉えられる可能性があるから。
これは、今までのこの流れに対して現れてきた過去の障害と似ている。その「過去の障害」とは、最初のオタクブームと言える80年代ロリコンブームの時の「宮崎事件」。90年代前半のオタク暗黒時代を超えてエヴァブーム、ゲームブームによってオタク文化が見直されアキバブームとなった時の「秋葉原通り魔事件」。
アニメ、アイドル、オタク文化は手の届かない仮想現実としての快楽を扱う文化だ。誰もがそれを承知しつつ、これらに惹かれていく。しかし、その惹かれる者が増えて行けばどうしてもその中に不埒者が紛れ込むもの。そして今回のような事件が起きるとその文化そのものに対してこういう人を惑わす文化は如何なものかという意見をぶつけるようになる。
そう言った意見が例え社会的な実行性を伴って現れなくても、その場にいる、今のブームを作っている多数層の心には何かしらの影響を与えるかもしれない。それらは、アイドルファンであるとともにアニメファンであったりするだろう。そういう流れが生まれる可能性のある事件だと言う事だ。
今回の事件としては、宮崎事件、秋葉原事件に比べれば決して大きな事件では無いかもしれない。しかし、世間の注目度、意識度はより大きくなっているように思う。それくらいアイドルやオタク的文化は世間にとって身近なものになっているだろうから。何か変な方向に流れない事を願うばかりだ。