ラブライブ!の物語構造を読み解く

2期9話の出来は素晴らしかった。なるほどと唸らされるものだった。これで、それまで感じていたもやもやが払えた感じ。これを狙っていたから、こういった展開になっていたのかと。非常に練り込まれた構成だ。

第一期の物語の推進力は学院の廃校からの救済だった。非常に困難な課題を提示して、それをアイドルという少女たちの夢によって乗り越えていく。いつしかそのアイドルこそが彼女達の目的にも成っていく。

しかし、二期はそう言った推進力が無い。「出場しなくてもいいと思う」と言う言葉は、作り手の本心と言ってもよいだろう。しかし、彼女達の物語は続いていく。では、どのような展開にすれば物語に推進力が生まれるのか。

一期の構造を単純に言えば、それは「与えるアイドルの物語」といえるだろう。

一期では、彼女たちは自分達の学校とはいえ、本来学生であればする必要のない救済活動を行った。そんな彼女達の立場は、物語当初の絵里が生徒会長としての義務として活動をする事を禁じられたことからも明らかにされている。自分たちがアイドルをしたいという思いと合わせての活動だから許されたのであって、それは本来学生の本分ではない。彼女たちはアイドルという自分のやりたいことの中で、しかし同時に学院を救うことにもなるそれに、無尽蔵とも言える努力を注ぎ込むことになる。

そして、結果学院は廃校を免れる。彼女達の青春の一部をかけた活動が、学院を救う事になる。

彼女達が後に目指そうとした「ラブライブ」については結局参加する事すら出来なかったが、結果として彼女たちの活動は他の多くの学生をも救う大きな成果を残した。その事は、当初一人の観客も居なかった学内講堂のライブ会場が、学生で埋め尽くされる様子からも示されている。

しかし、彼女たちはアイドルとして実質的なモノは実は手に入れて無い。ある意味、アイドルとして無償の愛を与えたに等しい。

なので、2期は「報われるアイドルの物語」を描こうとしているのだろう。

ラブライブの全国大会優勝という非常に困難な目標を提示しているにも関わらず、彼女達の辛い努力などがほとんど描かれない緩い展開が続いているのはそのためだ。

それから、緩い展開にはもう一つ理由がある。それは、誰が彼女達に「報い」を与えるのかということと関係してくる。

その報いを与える者は、やはり学院が救われた事により、その学院で青春を謳歌できる学生たちそのものであるべきだろう。つまり、生徒全員が彼女達に対する感謝の気持ちを伝えられやすい状況を作る必要がある。

穂乃果の生徒会長就任の顛末は、実はここにこそ理由があった。ただアイドルをしていただけでは、生徒達との直接的な繋がりも作り辛い。生徒たちは彼女達の事を忘れてしまうかもしれない。しかし穂乃果達は生徒会としても活躍し続け、学院の守護者であり続ける事になる。そんな学院の守護者が、全国大会に向けて血眼になっているとなれば、逆に生徒たちから反発を食らってしまうかもしれない。アイドルとしての活動は「ほどほどにしなければならない」状況にあったという訳だ。

そして、予選当日。穂乃果達は生徒会活動を優先し、なおかつの大雪で窮地に陥るが、それを救うのが学院の全生徒たち。今まで学院を守ってくれたことへの報いとして、そのラブライブ会場までの道を全生徒が協力して拓いてくれる。こうして彼女達は、予選とは言え初めて正式な会場が与えられるラブライブへの参加を果たす事になる。

こうしてみると、正に一期と二期は表裏一体だ。次々と辛い障害が起き、アイドルとしての大変さも克明に描いている一期と、各メンバーの心の救いがあり、ラブライブというより大きな夢への参加が近づいている二期。「与え」と「報い」。

ならば、二期の今後の展開はどうなるのだろう。

一期では非常に大きな困難を被るが、彼女達の目的が達せられる描写で終わっている。ならば二期では、ラブライブという非常に大きな夢のステージを味わうが、メンバーの卒業と言う彼女達の最後の描写を描くとか。

大きな喜びには、同時に何か切なさも伴うものなのかもしれない。

なにはともあれ残りの話数を楽しみに見ていこう。