ラブライブ!2期の違和感

あーあ、そこまで言い切っちゃったか…というのが、10話を観た感想。
μ’sが決めたキャッチフレーズは「みんなで叶える物語」。
これって、非常に納得がいって、感動的な展開の様に思えるのだけれども、そのすぐ後からなんか違和感のようなものが湧き上がってくる。
その違和感がなんなのか、すぐに言葉に出来なかったのだけれども、昨日のアイカツ「マイ ディア アイドル!」を見ていて、なんとなくそれが分かった。
「マイ ディア アイドル!」のテーマは、アイドルの「推し」。ある意味らいちが主人公であり、あおい姐さんへの応援を頑張る話だった。アイドルはファンに応援されて頑張り、そのアイドルの頑張りを見てファンも頑張る、とか。
つまり、アイドルとはファンに応援されて頑張るのは当たり前。ファンに応援されていないアイドルはアイドルじゃないし、かといって応援されていないからと頑張らない者もアイドルじゃない。アイドルとは、ファンから応援されようとされまいと頑張る者であり、その頑張りを見て応援したいと思うファンが生まれた時点でアイドルになる。アイドルとは本来的に技量では無く、その応援するファンの熱によって量られる者だと思う。
アイドルとは、全てが「みんなで叶える物語」のはずだ。
確かに、μ’sはファンから応援されている者ではあるだろう。しかし、それを「自分で言ってどうする」w。μ’sがA-RISEに勝った理由がこれだとすれば、単にファンが多いと言っているだけだ。
この言葉を言い換えれば「私たちはみんなの応援あってのアイドルです」という実に定型的なアイドル挨拶を言っているにすぎない。逆に、これをわざわざキャッチフレーズにしたことによって、ファンへの「寄り掛かり」的な印象すら与えかねない。
いや、この言葉は具体的に援助している学園の仲間たちを指している、という見方もあるかもしれない。しかし、それであればなおの事悪い。なぜなら、それはファンを限定している、もしくは一部のファンを優遇していることになりかねない。アイドルは誰からも愛される者であると同時に、孤高の存在でなくては務まらない。誰からも応援されてその力を借りる事も出来るけれども、それは自分のものでは無いし、逆にアイドルは誰か固定のファンの物にもならない。
物語「ラブライブ!」におけるμ’sが、現実世界においてファンの力を借りて大きくなってきているという事実は確かにあるし、それを物語の中に取り入れるという展開に成っていて、これはこれで美しい構成だとは思う。しかし、それを実際に物語の中に取り入れてしまうと、感じるのは違和感でしかない。
今後のμ’sラブライブ優勝の必然性は、きっとこの言葉によって決定されるのだろう。しかし、それは綺麗な物語構成を目指した少し強引なつなげ方だと思う。本来であれば1期の最終回付近の熱量が有れば、その勢いで優勝するのは当たり前のように思えたのに、それを2期にずらしたことでかけ違いが生じているように思う。
2期でももっと上手い構成はあったと思うのだがなあ。