月が沈む刻 〜アイカツいちごパート、ひとつの決着のつけかた〜

これは最終回だよね。二年に渡り続いていたアニメアイカツの、いちごパートの最終回。来週からはあかりパートの新シリーズとなるのだろう。そう思うと凄い寂寥感だ。
アイカツについてはこのブログで折に触れて語ってきたけれども、その内容は段々と「いちごと美月の対決」についてになっていった。アニメアイカツはゲームの魅力を活かすために、個々のキャラの魅力を見せることを最大の目的としていて、そのため全体を通してのストーリーとかテーマとかはかなり薄く描いていたように思う。けれども、私のような穿った見方をしたがる者としては、その中でも描かれている物語全体の流れ、テーマを汲み取りたいと思っていた。実際には、やはり物語にはそういった隠れたテーマが無いと「活きたキャラ」は描けないものだから、絶対にそういったテーマがあるはずという視点で見ていたと言える。
そのテーマこそが「いちごと美月の対決」。まあ実際のところ、物語でも二人の勝負がストーリーを作っていたけれども、ここで言いたいのは単なる勝ち負けの勝負ではなく、二人の価値観の違いによる対決について。それはアイドルとは何か、「アイドル本質」についての対決とも言える。

このアニメアイカツという物語には、いちごと美月に象徴される二つのアイドルの価値観の戦いがあり、その決着が今回のいちごが主人公を卒業する物語の中で描かれていたと思っている。
今回、美月はいちご達に対決を求める。その行動は正にアイドル実力主義の象徴とも言える彼女らしいものだった。美月はあくまでアイドルの本質はそのパフォーマンス力であり、その実力によってより多くの人を元気にすることこそがアイドルの使命だと信じている。実力主義であり利他的存在であるべきという考え方だ。
その考え方は「正しい」。やはり実力がなければ人を感動させられないし、アイドルを何のためにやるのかと言えば、人を元気づけるためが第一というのは、アイドルというパフォーマーとしての存在にとって当然の心構えだろう。美月は正にその心構えにつていて究極的なまでに真摯に向き合って実行してきたからこそ、アイドル界トップの座に座り続けてきたと言える。
しかし、それは「アイドルとして」本当に正しいのか。そんな疑問を少しづつ投げかけてきたのがいちごという存在だ。
実際には、物語上いちごは美月に対して一度として疑問を投げかけた事がない。いちごにとって美月は憧れの対象、至高の存在だからそのようにしか描かれていない。しかし、美月の行動によって物語上のどこかに歪みが生まれている。それはトライスターにおける蘭の立場だったり、ドリアカのスターライト学園との対決姿勢だったり。それらは勝負として観る側としても面白いものだから、それを否定することは出来ないし、いちごも積極的に面白がっている様子しか描かれない。
しかし、いちごは決してそういった勝負を自分からは持ち出さない。アイドルの世界に勝負事は沢山あり、それを誰よりも強く認識しているけれども、勝ち負けをアイドルの本質だとは決して言わない。美月の思いつきを「面白い」というし、その持ち出した勝負に乗りもするけれども、美月を追い掛けているはずなのに、美月と同じ行動は決して取らない。その「動かない」という行動そのものが、美月の考え方へのクエスチョンになっている。
そして、いちごの最も象徴的な行動が「あかりの登用」だ。実力もなければ才能すら疑問視されかねない存在。実力主義の中ではありえない存在と言って良い。そんなあかりに、いちごは「アイドル」を見出す。いちごにとっての「アイドルの本質」をあかりの中に見たと言えるだろう。
いちごにとっての「アイドルの本質」とは一体なんなのか。それは、結局物語の中で明確には描かれていない。それを描くことは、美月と違う考え方をいちごが持っているということであり、いちごが美月と精神面で対立していることを示してしまう。それは女児アニメであるアイカツにとって好ましいことではなく、描くことができないことなのだろうと思う。
しかし、前回のトゥインクルスターカップの決着と今回の最終回の流れの中で、その中身が透けて見えてくるように思う。
美月はいちごに負けた。それはアイカツシステムの勝負に負けたこともそうだけれども、それ以上に「完敗した」という思いを美月が持っている様子が描かれている。それは、今回の勝負よりも将来の夢について語るいちごを驚きによって見たこと。「いちごに期待」と言ったこと。
美月は究極の目的として、より広い会場におけるステージの成功を掲げていた。より広い会場であればより多くの人を力づける事にもなる。マスカレードが達成したことよりも大きなことを成し遂げ、美月はその目標の成功を手にした。
しかし、いちごはその成功をまったく違った視点から見ていた。美月との戦いは楽しい。しかし、もっと別の夢も楽しい。自分たちには様々な夢と可能性があり、その全てを楽しみたい。ただそう思い美月の勝負にも乗っていた。
アイドルとは何か。それは他人を元気づけること。他人に夢を見せること。ではその他人に見せる夢とはなにか。それはアイドル自身が持つ夢を見せるということ。アイドルとは自身の夢を持っていなくてはならない。それはその目的が「他人を元気づけること」なだけではダメなのだ。他人を元気づける為「だけ」にパフォーマンスを磨いても、それは夢を見せることにはならない。目的が夢を超えてしまってはならない。
アイドルとは人から愛される存在であってこそアイドルであり、パフォーマンスがあるだけでは単なるパフォーマーでしかない。愛されるためには、人から愛される「自分」を持っていなければならず、そんな「自分」を夢によって形作っている者こそアイドル足り得る。
アイドルとはなにより利己的存在であるべきであり、実力よりも夢や精神こそが大切な存在といえる。いちごは正にそういった美月とは正反対の「アイドルの本質」を見出していると言えるだろう。
美月はアイドルとしての成功を求めてより大きくなるため、そんな「自分」をすり減らして来てはいなかったか。その姿勢が今回の勝負における観客にも伝わり、勝負の決着にも影響したのではないか。
今回の最終回の最期のシーン。いちご達はあかりという夢だけを強く持つ、しかしだからこその真の後継者を見つけ、それを迎え入れることでアイドルの世界で輝き続けていくであろう様子が描かれている。
そして、美月はアイドル以外の夢に羽ばたくみくるを見送り、アイドル達の輪の中から外れて描かれている。
それは、いちごと美月の「アイドルの本質についての対決」の決着を表現したものだったように思う。
数々のスターが輝く夜空の中に一際燦然と輝いていた月。そんな美しき月が沈み、その月に挑み続けたいちごというアイドルの物語が決着した。
次回からは、そんないちごにこそ憧れを抱く新たなアイドル達が、新しいステージで輝いていく様子が描かれるのだろう。今後の展開も大いに楽しみだ。
P.S.けど、本当に次回からは「フフッヒ」が聞けないのかなあ。だとしたら寂しいなあ。