『劇場版 境界の彼方 -I'LL BE HERE- 未来篇』初日舞台挨拶 シネマサンシャイン池袋

境界の彼方に関しては残念な印象が強い。映像面は素晴らしいのにその物語が非常に陳腐。なぜここまで酷いのかと思うくらい稚拙な脚本に耐える必要があった。だから、ある程度丁寧に作れる環境であろう今回の劇場版ではその雪辱を果たして欲しかったし、その可能性はあるかもと期待していたのだけれども・・・結果としては、やはり残念だった。
これは、良く知らないけれども、やはり原作小説を元にしているのだろうか。クレジットされてる花田十輝は一角の脚本家だし、ある程度テレビ版での経験を踏まえてもう少し整えてきてくれるかもと思ってたのだけれども、やはり酷いものは酷い。細かいトーク、重要なシーンのキャラの反応、サブキャラの扱い、物語の全体構造、全てにおいて悪い。
いや、キャラは可愛いし、展開は派手で盛り上がりはあるし、なにより映像もキャストの演技も素晴らしいので観るべき要素はある。けれども、それがグズグズの脚本の上に乗せられているとどうしても指摘したくなってしまう。アニメでネガティブな事は基本言いたくないのだけれども、正直で居たいとも思うのでこればかりはどうしようもない。
やはり文化には積み重ねが必要なのか。例えば角川とかが良い作品を取り揃えて大きな顔してるのには反発したくもなるけれど、そこから外れたところで独自にやろうとしても、こんなレベルに達してないものを選んでしまう。これだけネットとか普及してるのだから小規模でも良質なものを見出すチャンスは昔よりあるはずなのに、それが出来ないのは選ぶ側にも責任があるはず。本当に残念だ。
という事で、映画は散々だったのだけれども、キャストトークは嬉しい。ヒロイン役の種ちゃんはよく出来た娘でトークは丁寧だし、この日の為に赤眼鏡にカーディガンというコスで出てきてくれるしでとても魅力的だった。
ただ、一番のお目当てであるみのりんはどこか気分的に落ち気味。考えてみれば、彼女はちゃんと自分の持ちキャラの立場を考えたトークをしてくれる人なので、それがある意味裏目なのかも。そりゃそうだ。脚本の悪い点をここで一つ挙げるとしたら、みのりんの美月がキャラの存在意義を否定されたような扱いだったのだから。もうこれが最後だというのに何ひとつとして進展の無いまま終了してしまう。ほんと残念以外の何物でもない。
京アニにはもっと原作や脚本の重要性に真摯に向き合って欲しいものだ。ほんと、切に願うよ。