「魔法少女リリカルなのは」を語りたおす Ⅰ 「どうすればいいの?」と少女は言った

実を言うと、なのはの第1話を見た時の感想は「CCさくらのパロディ的作品」というものだった。「普通の小学生が偶然魔法の力を手に入れて探し物をしながら怪獣と戦う」というコンセプトが全く同じだからだ。目新しい要素が感じられずパロティの域を出ていないと思っていた。
しかし、そんな中で一つの台詞が気になった。それはユーノが「お礼をするから戦って欲しい」と言う言葉に対する、なのはの「そんな場合じゃないでしょ。どうすればいいの?」というもの。
話の流れから当たり前の台詞の様に思えた。けれども、よくよく考えてみると、かなり不思議な言葉だ。命の危険があるこの場合、女の子ならば(というか一般人なら)戦いに拒絶反応を示すものだ。本能的に逃げる別の方法を求めてしまう。しかし、彼女のこの台詞は、この時点で既に命をかけて戦う事に覚悟を決めている者の台詞なのだ。
子供らしい素直さからくるもの、また単なるストーリー展開上のご都合主義、ともとれるのでその場は流せたが、ストーリーが進むにつれて、この台詞の示す意味がどんどん大きくなっていったのには驚いた。つまり、彼女の「戦う動機」は、実はとても大きな物であることがこの後示されていったのだ。この「戦う動機」が描かれている点で、「リリカルなのは」は「CCさくら」とは全く異質の作品となっていると思う。そして、この事に気付いた時、なのはをさくらに匹敵する、もしくはそれ以上の作品であると認識するようになっていた。
一見するとなのはの戦う動機は案外ストレートに観る側に伝えられている様に思える。話の冒頭になのはのモノローグとして彼女の心情が語られており、その中で「父の教え」として「困っている人を助けたい」というなのはの気持ちが表現されているのだ。その為、観る側はそれが彼女の動機と理解し、すんなりとその後の展開を受け入れていけるようになっている。
しかし、それは「なのは自身が自分の動機として認識している」程度の意味でしかない。それでは単に少女らしい素直さの表れでしかないだろう。実際「親から言われたから」程度で命をかけるほどの覚悟は生まれるはずがない。
実は、シリーズを通して彼女の心の奥には彼女自身の「欲」があり、その「欲」によって彼女のとても強い動機が形作られている事が描かれている。しかし、その「欲」を直接描くのは少し生々しいのであえて間接的に描かれているのだ。そして、この節度がこの作品の大きな魅力となっていると言える。なのはに深くシンクロして観る者にとってその欲=動機は、例え明確に認識しなくても強く心に働きかけてくるからである。