魔法少女リリカルなのはStrikerS 18話 〜視聴者を馬鹿にするのも程がある〜

まず、前回までの状況を把握してみる。
前回、物語として大きな山があったのだが、それは「欺瞞に満ちた」展開だった。
予言された大事件は管理局の崩壊と思われていたのに、実際には機動六課庁舎の破壊のみ。それでも預言者自身は「予言が成就した」といってしまう。確かに、視聴者からすれば主人公達への被害が大きいので大事のように感じるが、実際には非常に安易な結果といえる。事実、管理局が安泰であれば、反撃体制を整えるのにそれほど無理な労力は必要ないだろう。
そして、製作者側が言っていた「17話から大きく変わる」という言葉の結果としてはどうか。この言葉には、主人公達が何かを失い、そして苦しみながらも何かを得る、という展開が想定されていたと思う。しかし、その結果として主人公達が失ったものは、戦力外とされていたザフィーラとシャマル、部外者戦力のギンガ、そして元々敵の求めている存在としてのヴィヴィオ程度。早い話が、製作者が始めから失って良い物として設定していたものばかり。今までの物語で描かれていた戦闘訓練の成果の喪失などはまったくといって無い。なんとも安直な悲劇としか思えない。
これらの悲劇は「今後の展開をしやすい悲劇」だ。本来、悲劇を起こすという事は、それをハッピーエンドに導く為、製作者がリスクを負うという事。逆転のひらめきなどが必要になるはずだからだ。しかし、ここで描かれている「安直な悲劇」では、今までに用意している戦力をそのまま使うのだから、製作者はまるでリスクを負わない。早い話、この悲劇は「製作者の都合の良い悲劇」でしかないのだ。
さらに悪い事に、これら「製作者に都合よい悲劇」をお膳立てする為、主人公達を「重要物の保管」とか「戦力の配置」とか「情報伝達の徹底」とか、普通の軍隊ならば当たり前の事が出来ていないダメ集団として描き、貶めている。
こんな、視聴者はもとより、自らが作り出したキャラ達をも侮辱した展開は無いだろう。
製作者はその作品の神であり、その作品世界ではどんな事をしても良いと思いがちだが、実際には違う。自らの作り出した世界に、キャラに対して責任を負うのだ。その責任は、作品の質の高い低いに関係なく生じるものだ。しかし、この展開にはその責任がまったくといって感じられない。嘆かわしい限りだ。
それは、どうしても受け入れることの出来ない「欺瞞に満ちた展開」といえる。
そして、これら既に起こしてしまった欺瞞より、もっと大きな問題も浮上している。
それはStSの主人公とされるスバルが戦闘機人であるという設定。
スバルはなのはに憧れ、なのはの様に「強くなりたい」と思ってここまで来たキャラだったはずだ。それであるからこそ、前半の退屈な戦闘訓練の描写もそれなりの意味を持てるようになる。
そして、その弛まない訓練によって「才能の少ない」人間であっても、なのはの様な「エース」に匹敵する活躍をすることが出来る。そんな人物を指して「ストライカー」という・・・
つまり、スバルがこの「ストライカーズ」の主人公たるには、「強くなりたい」と思える「才能の少ない」人間であるべきなのだ。
そんなスバルが、人よりも戦闘能力を上げるために人工的に操作された戦闘機人?
これは一体なんの冗談なのだろう。
このシリーズに「ストライカーズ」と名付けた意味は一体どこに行ったんだ。
この設定で、その他の登場人物達との対比も、なんだかガタガタになったように思える。
生まれが特殊で過剰能力のあるライトニング隊と、生まれが平凡で一般的な能力のスターズ隊の対比。
過去の悲劇により心に陰を持つティアと、円満な家庭に生まれて朗らかな心のスバルの対比。
そして、大いなる才能をそのまま力に代えてエースとなったなのはと、少ない能力を努力によって大いなる力に代えてストライカーになるスバルの対比。
これら、地道に描けば深い物語になると思えるキャラの対比が、今までほとんど描けていなかったのもうなずける。始めっから描くべきものが無かったというわけだ。
しかし、それにしても納得できない。このままでは「ストライカーズ」と名付けた意味が本当に無くなってしまいそうだ。
考えてみると、スバルと戦闘機人の関係性が描かれたのは、ほんの数話前だ。もしかしたら、スバルの主人公としてのキャラ立てのてこ入れとして、スバル=機人という設定は、後から取って付けたのではないか、とすら思えてしまう。もしそうだとすれば、それほど視聴者を馬鹿にした事は無いだろう。深い人間関係を描くよりも、ドンパチ対応の人間に変えたほうが受けるはず、という安易な考えでキャラに不幸属性を与えた事になるのだから。まあ、推測で怒っても仕方の無い事だが。
・・・どこまで行っても、製作者の安易な考えで、視聴者が翻弄されている状況としか思えない。
そんな中で、登場人物たちの感情を適当に爆発させたり、戦闘シーンで画面を爆発させたりして、見ている人間が本能的な刺激を得れば、それだけで満足するだろうと、製作者は視聴者を見透かして、いや見下げているかのようにすら思う。見ていて屈辱すら感じる。
こうして、なんだかとても多くの代償を払った後に続いている今回なのだが、さすがに地ならしがすんだ後なので、それなりには見られる。設定が出揃い、今まで謎とされていた事実が徐々に明かされていく過程は、やはり楽しいものだ。なのはとヴィヴィオの母子関係とか、ナンバーズの家族関係とか、ルーテシアの母への思いとか、個々のエピソードも面白そうだ。ただ、それらばらばらのエピソードが互いにどうつながってくるのかは不明だが。
ありとあらゆるハードルを下げて、作品のテーマすらガタガタしてきたこのシリーズだが、それでも一番の見所はこれ以降にあるのだろう。悔しいが最後まで付き合う他ないだろう。