「水樹奈々ファン」というものが存在するらしい。

いや、当然存在するだろう、といわれるだろうが、そういった意味では無く。
水樹奈々ファンでありながら、アニメファンでも、声優ファンでも無い、という「水樹奈々ファン」がいるらしい、という話。
考えてみれば、そうおかしな事ではないかもしれない。水樹奈々は、最近ではTVでの露出も多く、つい先日には、全ての声優アーティストの宿願でもあったオリコン1位も獲得した。オタク文化が一面クールなイメージを持つ中で、その最先端にいる声優を追っかけようとするミーハー、オタクでは無い一般人がいても不思議ではない。
ファンが多様になればなるほど、そのアーティストの人気の基盤も強くなる。先ほど行われた西部ドームライブの成功など、正にそういったファンの力もあったればこそだろう。そう思えば、嬉しい話ではある。
実際、アーティスト活動をしている声優本人達は、出来売ればこの様なところまでたどり着きたいと思っているに違いない。折角の声優を離れた活動なのだから、アニメファン、声優ファンだけではなく、もっと広い層に認められる方が嬉しいだろう。
しかし、現在、そのように「声優自身が」望む事は、ある意味タブーとされている。何故なら、その様に望み、その様な展開をした先人が、手痛いしっぺ返しを食らったから。
椎名へきるのアーティスト宣言は、ファンからの強い反発を食らい、彼女は凋落した。アニメファン、声優ファンからしてみれば、アニメ、声優を二の次の様に語る彼女の宣言は、明らかな裏切りと感じられたのだ。
アニメファン、声優ファンは、結局かなり閉鎖的な思考を持ち合わせている。自分達の楽しんでいるものが、その本質の深みが、一般人に真に理解できる筈は無い。そんな風に思っている。だから、声優がアニメ・声優の枠から出ようとすると、それは、ただ単に出ようしただけとは捉えられい。濃い自分達の世界を捨てて、薄い世界に逃げた様に捉えられる。幅を広げたとは捉えられないで、逃げ捨てたと捉えられるのだ。
水樹奈々は、決して同じ轍は踏まないだろう。声優活動を第一に捉え、歌手活動を続けていくと思われる。そういった意味で、水樹奈々自身が失敗する事はなさそうだ。
また、状況も好転している。椎名へきるの時代に比べ、アニメ・オタク文化が世間的に肯定的に捉えられ、それがかなりの広がりをみせている。ライトオタク層と呼べるものが、若者全体に広がっている感覚だ。
しかし、それでも少しずつ軋轢は出てくる。
今回C76のなのはブースの物販で、水樹奈々の歌が入った「フェイトCD」が、かなりの量を揃えていたにも関わらず、なのはCDより早く無くなった。2ch情報だが、フェイトCDだけをダンボール箱で買い付けたテンバイヤーがいたらしい。
「なのはに興味ないし、コミケなんて行きたくも無いけど、水樹奈々の歌が入ったCDだからコレクションアイテムに入れなきゃね」とかいう輩のところにフェイトCDが供給され、テンバイヤーが潤うのかと思うと、なんだか絶望的な気分になる。今後のライブチケット争奪戦でも、その様な一般人vsオタクとかになるのかもしれないとか思うと、嫌な気分だ。
とは言え、声優は本来誰のものでも無いし、水樹奈々自身も決してファンを裏切らないだろう。
だから、この様な想いは単なるアニメ・声優ファンとしてのエゴでしかないのだろう。
まあ、この様な葛藤は、お目当てのアーティストが人気を付けた時に必ず生じる、ごくありふれたファンの葛藤という事か。