「魔法少女リリカルなのは」を語りたおす 序

魔法少女リリカルなのはA’s Vol.1 [DVD]
昨日ローゼンメイデンの総括的な話をしたら、こっちも語りたくなった。なのはとローゼンは私にとって昨年の二大シリーズで(始まったのは一昨年だが)、さらに実際にはなのはの方が断然好きだったりする。まだ熱も冷めてなく、色々と語りたい事があるのでその機会をうかがっていたのだ。

「魔法少女リリカルなのは」を語りたおす Ⅰ 「どうすればいいの?」と少女は言った

実を言うと、なのはの第1話を見た時の感想は「CCさくらのパロディ的作品」というものだった。「普通の小学生が偶然魔法の力を手に入れて探し物をしながら怪獣と戦う」というコンセプトが全く同じだからだ。目新しい要素が感じられずパロティの域を出ていないと思っていた。
しかし、そんな中で一つの台詞が気になった。それはユーノが「お礼をするから戦って欲しい」と言う言葉に対する、なのはの「そんな場合じゃないでしょ。どうすればいいの?」というもの。
話の流れから当たり前の台詞の様に思えた。けれども、よくよく考えてみると、かなり不思議な言葉だ。命の危険があるこの場合、女の子ならば(というか一般人なら)戦いに拒絶反応を示すものだ。本能的に逃げる別の方法を求めてしまう。しかし、彼女のこの台詞は、この時点で既に命をかけて戦う事に覚悟を決めている者の台詞なのだ。
子供らしい素直さからくるもの、また単なるストーリー展開上のご都合主義、ともとれるのでその場は流せたが、ストーリーが進むにつれて、この台詞の示す意味がどんどん大きくなっていったのには驚いた。つまり、彼女の「戦う動機」は、実はとても大きな物であることがこの後示されていったのだ。この「戦う動機」が描かれている点で、「リリカルなのは」は「CCさくら」とは全く異質の作品となっていると思う。そして、この事に気付いた時、なのはをさくらに匹敵する、もしくはそれ以上の作品であると認識するようになっていた。
一見するとなのはの戦う動機は案外ストレートに観る側に伝えられている様に思える。話の冒頭になのはのモノローグとして彼女の心情が語られており、その中で「父の教え」として「困っている人を助けたい」というなのはの気持ちが表現されているのだ。その為、観る側はそれが彼女の動機と理解し、すんなりとその後の展開を受け入れていけるようになっている。
しかし、それは「なのは自身が自分の動機として認識している」程度の意味でしかない。それでは単に少女らしい素直さの表れでしかないだろう。実際「親から言われたから」程度で命をかけるほどの覚悟は生まれるはずがない。
実は、シリーズを通して彼女の心の奥には彼女自身の「欲」があり、その「欲」によって彼女のとても強い動機が形作られている事が描かれている。しかし、その「欲」を直接描くのは少し生々しいのであえて間接的に描かれているのだ。そして、この節度がこの作品の大きな魅力となっていると言える。なのはに深くシンクロして観る者にとってその欲=動機は、例え明確に認識しなくても強く心に働きかけてくるからである。

「魔法少女リリカルなのは」を語りたおす Ⅱ 家族構成から想像できる戦う動機

この本当の動機は家族との関係がとても重要な要素となっている。そして、その事を描く為にこの物語は家族の描写を多く取り入れている。
なのはの家族はかなり特殊である。両親はごく普通の喫茶店を経営いるものの、その過去は相当ハードであったと想像できる。父親は背中に多くの傷痕を持ち、それをなのはは一緒に風呂に入りながら目の当たりにしている。(父が娘を風呂に誘うコメディシーンはそれを明確にする意味がある)なのはの父親は、恐らく人を助ける為にこの傷を負ったのだろう。この父親からの「人を救え」という言葉はとても重い意味を持つと思われる。
しかも彼女を取り巻く要素はこれだけではない。彼女には二人の兄姉がいるが、この二人も父の教えを守り、日々精進しているようだ。父を助け、また彼ら自身も既になにかに対しての戦いをしている雰囲気を漂わせている。(これについてはスピンアウト元の「トライアングルハート」に詳しいのだろうが私はまだやった事は無い)つまりなのはの家族は、簡単に言えば「正義の味方家族」なのだろう。
そして幼いなのははまだ守られる存在として、この家族の中でただ一人異質な存在となっている。その事は彼女の責任ではないものの、彼女にとって深い悲しみ、焦燥として心に留まっているに違いない。これは第1話の冒頭で彼女のモノローグで冗談めかして、そして後にユーノへの告白として明確に表現されている。
なのはは常に家族と同じ立場に立ちたいと思っていた。つまり正義の味方になりたいと強く望んでいた。しかし、自分の幼さ、そして体力に対する資質の無さ(自分ではそう思っているようだ)から半ば諦め、そして悩んでいたに違いない。第1話でなのはが自分の進路を明確に出来なかったのは、この事へのこだわりがあったからなのだろう。
そして、彼女に転機が訪れる。
人を助ける為に戦って欲しい、その為の力を授ける、という申し出は、彼女とって正に願っていた事だったに違いない。魔法の力が実は心の力だとすれば、彼女が魔法使いとして素養があったのは偶然では無い。彼女はなるべくして魔法使いになったのである。
なお、この「親や家族と同じ立場に立ちたい」という思いは、彼女の家族が「正義の味方家族」である事を除けば、実際は実に普遍的かつ健全な望みでもある。それを魔法の力という要素を使って心情面から叶えていくこの物語は、かなり良質な成長物語といえるかもしれない。また、彼女の心の成長は単に魔法使いになっただけでなく、この後も続いていくのである。

「魔法少女リリカルなのは」を語りたおす Ⅲ フェイトとの出会いの意味するもの

なのははフェイトと出会い、そして強く惹かれていく。彼女の友達になりたいと強く願う。この想いは単に同じ年頃の少女と出会ったから知り合いたいという簡単なものではなく、もっと強い想いである事は、作品を通じて明確に表現されている。この事が作品のメインテーマとしても良いくらいである。では、なぜなのははフェイトに強く惹かれたのだろうか?
なのはには元々二人の友達がいる。そして彼女達には一つの共通点がある。それはメイドや執事を持つほどの大金持ちであるということ。これは彼女達がその幼さにして人を使わねばならない立場にあるという事を意味している。彼女達の精神年齢の高さはこの事に起因しているのだろう。そしてなのは自身は、彼女達に比べればそれほど精神年齢が高いわけではない。しかし、内に秘めた強い意志は二人を上回っており、そこに、精神年齢を高くせざるをえない立場ながらも子供らしい弱い心を持っていた二人は惹かれていると言える。互いに補完しあう良い関係といえるが、必ずしも同じ心を共有しているわけではないのかもしれない。
そしてフェイトである。なのははフェイトとであった時、一つの問題を抱えていた。
なのはは家族に認めて欲しいという想いもあり魔法使いになったが、実際にそれを家族に知らせる事は出来ない。彼女が闇雲に危険な事をしているとすれば、家族は絶対に反対するだろう。(実際に兄に怒られるシーンがある。)やり始めたばかりであり、それが自分にとって本当に重要なことと断言できる状況でもない。ここに「知ってもらうべき相手に知られてはならない」という矛盾が生じているのだ。
そんな時になのははフェイトに出会う。母に認められるが為に、どんな悪行苦行をも辞さないという、穏やかながらも深い哀しみの表情をたたえた少女に。なのははそこに自分と同じモノを感じたに違いない。家族が優しいがゆえに認められ報いたいと願う少女と親からひどい仕打ちを受けながらも認められて愛情を取り戻したいと願う少女。立場は全く違えども、その心の方向性は全く同じ。二人は正に「魂の双子」といえる。
なのははフェイトと出会い自分と同じモノを感じた時、自分の中の矛盾する感情の向けるべき相手を見い出したに違いない。ここに親や家族の為ではなく、心の共感する他人の為に行動しようとする心が生まれる。もちろんそれ以前にユーノの存在もあっただろう。しかし、それ以上に、フェイトへのそれは「家族の為」という一種の呪縛から解き放たれるほどの強いものだった。これがあったからこそ、クロノや次元管理局との関係もすんなりと受け入れる事が出来たといえる。そして彼女は家族から離れてまで、事件の渦中に身を置く事を選択していく。これは正に、自身の関心事を親から他人へと向けるという、心の成長そのものでもある。
フェイトの方は自分のやるべき事が終始徹底している。母に認められること、それ以外にはない。それだけになのはの言葉が届く事は無かった。しかし、母に認められること自体がありえない事であると知り、その時初めて自分の為に行動してくれている存在を認識する。それがどれだけ自分にとって貴重なものであるかを知った時、フェイトもなのはに強く惹かれていくようになる。
最終シーン、二人が出会い、その髪飾りを交換する行為は、魂の双子である二人の魂の交換そのものと言える。自分達の進むべき道がどれほど困難であったとしても、お互いがいれば進んでいける。支え合うわけではなく、共に進んでいける存在を見出した幸福。いわば結婚以上の強い絆を確かめ合い、二人は互いの心の置場所を定めたのだ。これは心の成長という面でも一つの到達点と言える。なのはという少女の成長物語としてこれほど見事な決着のつけ方は他にないであろう。

「魔法少女リリカルなのは」を語りたおす Ⅳ 新シリーズの描き方

この様に、なのはとフェイトは互いの存在を認識しあった以上、自分の中の戦う動機において迷う事は無い。As第1話において、最も感動すべきシーンは、なのはの危機にフェイトがかけつけるシーン・・・では無い。この半年間、普通の小学生だった少女が、毎日欠かさず行っていたという魔法訓練のシーンこそ、それにあたるだろう。
新シリーズでは、彼女達の心の成長によって得た成果が試される。対するは、より強い意志を持つと思わせる強大な武力を持つ存在。どちらの意志が強いのかがその決着をつける、正にガチンコの勝負と言える。なのは達は自分が正義と信じる事を貫き続け、その強大な敵、ヴォルケンリッター達の哀しい宿命を削り取っていく。その過程で「悪魔」と呼ばれようとも、避け得ない悲劇が待っていようとも。そして、最後には人間の意志をも越えた膨大な力との戦いにも立ち向かっていく事になる。
また、フェイトはその最中、自分の過去に決着をつける。彼女にとって、正義の為の戦いの道を進む事は、他に選択肢が無かったという面もある。もし自分に幸福な家庭が用意されたのならば、戦う必要が無いのではないかという疑念。しかし、今は彼女にもなのはという存在がある。夢の中の試練を乗り越えることによって、フェイトはより明確になのはと同じ道を歩む事ができるようになる。

「魔法少女リリカルなのは」を語りたおす Ⅴ 第3期シリーズを望む

無印とAsによって、なのは達の成長の物語はほぼ全て描ききっているといえる。特にフェイトは両シリーズを通してバランス良くその心の軌跡が描かれているので、かなり満足している。しかし、それでもまだ望むべきことは多い。
一つには、なのはの家族との関係の決着が描ききれていない。これは台詞無しのシーンで少し描かれているが、なのはの心の有り様を定めていた重要な問題の描かれ方としては明らかに足りていない。もしかすれば、なのはの戦う動機について結局理解しきれない視聴者がいるかもしれないので、かなり重要な事だと思う。また、このシリーズの当初のテーマの一つとして家族との関係を描くというものがあったはずだ。これが未消化のままであるのはあまりにもったいなさすぎる。
あと一つは、やはり新米魔法使いとなったはやての心の決着である。守護騎士団の監督という立場がある以上、彼女の進むべき道は決まっているが、それでもそれをどのように扱うかという彼女の決意表明は実感を持って描かれていない。多くの悲劇を起こした魔道書の所持者であった者としての、(彼女の責任ではないとしても)償いの心からくる葛藤などもあるだろう。なのは達との絡みも含め描かれていない事が多すぎるキャラといえる。
また、フェイトにしても彼女の辛すぎる過去に対する報われた後の描写はいくらあっても良いだろう。
6年後の後日談が描かれた今となっては難しいかもしれないが、それでも、1話完結の外伝集にするとか、描く方法はいくらでもある。昨年冬コミのなのはブースの賑わいは尋常なものではなかった。(私などは取り付く事すら出来なかった)続編に期待しているものが多くいることは、製作者側も充分理解しているはずだ。最終的なDVDの売上などにもよるだろうが、是非第3期を検討して欲しいものだ。