魔法少女リリカルなのはStrikerS総評

まあ、あれだけ期待したり、ネタにしたのだから、全体の感想くらい書かねばなるまい。
総評としては「まあまあ面白かった」と言った所だろうか。
結局、最後まで見てみると、なのはは原作者の都築氏の私的な作品であるという事を改めて感じざるを得ない。そうなってくると、この程度の作品として纏め上げられているのは、ある意味順当とも言える。
「この程度」とはどういう事かというと、やはり世界が箱庭化している程度という事。これは当初に危惧した事だった。

結局、この危惧は回避できなかったというわけだ。
けれども、それは仕方の無い事なのだろう。どうしたって、原作者の力が強すぎる作品だし、その原作者の資質として、組織とか、戦争とかをリアルに描くという能力、というか思考回路が無さそうだからだ。
都築氏が最も描きたいのは人の心の関係であり、その入れ物としての組織とかはまったくぼやけてしまっている。そこに、現実にある組織の実像とかを当て込む事も、彼としては嫌なようだ。彼にとって、普段描いている人と人の関係を、より大きく、複雑にしたものが組織なのだろう。だから、そこに人の思いの届かない「数字で決定される力」「理不尽な力」などが働くような「現実的な組織描写」が入り込む事は、彼の本質からはかけ離れているのだろう。
新シリーズとしてより大きな世界観を作るにあたって、そこにもう少し視野の広いアニメ脚本家とかがサポートについてぶつかり合えば、なのはワールドが劇的に広がるかも、と期待したのだが、それは本当に甘い考えだったようだ。
また、無意味に同僚の体を気遣ったり、むやみやたらと個人の過去の心の傷を持ち出して共通理解を図ろうとしたりと、組織内の人間関係に、かなり深い「馴れ合い」が基調として描かれているのもかなりキツイ。これも、これこそが都築ワールドに求められている事なのだろうからしかたない事といえる。
出来れば、もう少し客観的視点を持ったキャラクターを配置して、その特異性を明確にすべきだったと思うのだが、その特異性すらも気付いてないかのようだったし、到底無理だろう。あまりに無造作に、特異なほどべたべたな人間関係を描くものだから、先走って勘違いもしてしまうというものだ。

ただ、そんな「箱庭化した世界観」「馴れ合いの人間関係」によって描かれた世界も、それが都築ワールドとして、しっかり一つにまとまっているという意味では評価できる。つまり、「都築ワールドだからこの程度」という思考を一度作ってしまえばそれなりに楽しめる作品になっていたのかもしれない。
この「リリカルなのはシリーズ」は、例え、バトルが中心になったり、まるで戦争のような事が描かれていたとしても、所詮「魔法少女」モノだ。
原作者にして、この「バトル魔法少女アニメ」の創始者である都築氏が、その世界観が「これだ」というのだから、それを黙って受け入れるのが良いのだろう。
それを楽しむかどうかは、視聴者の判断に委ねられるのだから。
・・・けれども、より大きな可能性を感じていた作品だけに、「この程度」で終わってしまったのは、個人的に残念でならない。
もし、更なる続編が出来るとしたら、「都築氏の個人作品」という壁を突破して、もっと魅力的な作品になって帰ってきて欲しいものだ。